「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

雪原をどこまでも行く山頭火 小野憲彦 「滝」4月号<滝集>

2015-04-26 05:17:14 | 日記
 雪原に足跡をつけているのは作者だが、いつの間にか、その
歩みが山頭火のものになっていた。中七の現在形が一句の世界
を自在に拡げていく。多彩な読みが可能で堪能させてくれる。
「まつすぐな道でさみしい」が浮かんだ。(石母田星人)

木の枝を透かして春のうしかひ座 鈴木三山 「滝」4月号<滝集>

2015-04-25 04:31:34 | 日記
 作者がこしらえた野菜を頂戴したことがある。プロの作った
野菜には上質な甘みがあり、さすがにものが違うと感じた。精
魂込めて作られるこれら上等な作物も、クマ、シカ、サル、カ
ラスなどの野生鳥獣に狙われたらひとたまりもない。「うしか
ひ座」(牛飼座)は春の星座の代表格で、主星は「熊の番人」
という意味を持つアルクトゥールス。オレンジの光を放つ一等
星だ。ギリシャ神話には、うしかい座の巨人が、そばに位置す
るりょうけん座の猟犬二匹を引いて、その隣のおおぐま座の熊
を追いかけている姿とある。神話の時代でも熊は忌み嫌われて
いたようだ。作者は偶然、うしかい座を見つけたのではない。
「木の枝を透かして」の言葉から、少しの間、首を回して熊の
番人を捜天したことがうかがえる。下句「春のうしかひ座」の
ゆったりと余裕のある詠みは、捜しあてた安堵感から生まれた
もの。悪さばかりするおおぐま座の熊を、オレンジの光で威嚇
するうしかい座の巨人に祈りを捧げて、今年も作物の成長と無
事を願う。(石母田星人)

なまはげのP波障子を揺すりけり 原田健治 「滝」4月号<滝集>

2015-04-24 04:01:36 | 日記
 なまはげの姿は全く見えていないが、まだ遠くにいるなまは
げを察知して、寒明け近くの障子が震える音を感じた。なまは
げの「気配」を目に見える形で顕かにしている。つまり感覚の
具現化だ。何かの気配を察知した時点で、人間の脳は一瞬思考
を停める。再び動き出した脳は最大出力で気配の正体を探ろう
とする。多くの体験や行為の中を逡巡して「なまはげが来る」
の思考が一気に跳び出す。気配を察知してから思考を形成する
時間は、ほんの一瞬であるような気もするし、永遠が凍結され
るほど長い時間でもあるような気もする。なまはげは存在感が
強すぎるのだろうか、昔から輪郭のはっきりした吟詠が多い。
それらの句と較べるとこの句の新鮮さが際立つ。特に、察知し
た気配をP波と表現したところが新しい。大震災の後、地震発
生のメカニズムはすっかり常識になっており、地震が来る前の
地響きの音はP波によるものだと誰もが知っている。「P波」
の部分を、単に「気配」や「叫(おら)び」「声が」などと表
現するより一層の深みが出た。(石母田星人)

遺伝子の螺旋解けて海明ける 木幡祥子 「滝」4月号<滝集>

2015-04-23 04:00:18 | 日記
 上五中七「遺伝子の螺旋解けて」の言い方は、生物学上のD
NAの転写・複製をさすのだが、ここでは地上すべての生物の
遺伝情報の継承を言っている。命のつながりということだ。季
語「海明け」にかかるこの十二音は、作者が北海道に住む方だ
からこそできた語句といえよう。よそからバスツアーで行って
流氷を見ても決して生まれない作品だ。流氷の到来、接岸、見
渡す限りの流氷原、南風が吹くことで緩み始め、流れ、そして
沖に去り、消失する。作者は海明けに至るこの流氷のさまを子
供の時から何度も見ている。そのたび無意識にでも流氷の音を
聴き、一緒に風雪や雨を浴び、海や空の輝きを感じてきている。
海明けが何たるかの理解は、自身の遺伝子構造にまで染み込ん
でいる。海明けは体内にあるのだ。(石母田星人)

早春の足音がする糸電話 越谷双葉 「滝」4月号<滝集>

2015-04-22 04:16:46 | 日記
 この句を心象的に把握しようとすると、暗喩または幻想とし
ての佐保姫を登場させることで、想像世界が一気に拡がる。具
象的把握を試みると、心象では簡単に処理することができた
「早春の足音がする」の措辞が大きな謎になってしまう。糸電
話で本当に足音が聞こえるのだろうか。野外で糸電話を使うと
相手の声のほかに何がどう聞こえてくるのだろう。そこを確か
めるために、紙コップ二つと凧糸で実際に糸電話を作ってみた。
早速、野外での実験。ピンと張った凧糸を、真ん中あたりで擦
ったり弾いたりしてみると、耳に当てた紙コップから音が聞こ
えてきた。風のような音、バイオリンのような楽器の音、鳥や
犬の鳴き声のような音などさまざま。擦り方を工夫すると、ズ
ッ、ズッと低音でひびいた。これが足音のように聞こえなくも
ない。凧糸を擦る人間がもう一人居れば可能だ。早春の風景と
糸電話の相手の幼子。耳に当てた紙コップからは幼子の声のほ
かに微かに足音が聞こえた。もう一人の幼子が二人の真ん中で
糸を擦ったのだ。あたりの明るいあたたかな色彩が三人を包む。
糸電話を介して早春の自然と感応している気持ちのいい風景。
小さな紙コップから聞こえた足音の存在が、一句の詩質をぐん
と高めている。具象・心象どちらにも通底する作品だ。(石母田星人)