ひぐらしとの時の共有はノスタルジックである。誰の為に引いた紅だろう。夕かなかが空気も時間も透明にして夜を運んでくるような一人居の鏡の前。一刷毛の淡い華やぎを加えて、『別に待っているわけじゃないわ』と、鏡の中の自分に言い訳をして、やっぱり誰かを待っている。そんな場面から、一編の恋物語を紡げそうだ。(博子)
岩手県北上市の金色の稲穂の拡がる田園風景だ。この地には江戸時代初期から伝わる、物資輸送の牛方が唄ったのが「牛方節」という民謡があり、牛は景色の中に溶け込むようにあるのだろう。もっとも今は「「きたかみ牛」が肉質日本一を受賞するなど「牛鈴」からはそんな放牧された牛が想像される。秋晴れの澄んだ空気を鈴の音ごと吸い込んでみたくなるような絶妙の写生句である。(博子)
水輪を曼陀羅と感受したことに先ず驚く。秋澄みの空を映した水面に迫り出した樹の枝から、例えば木の実が落ち広がった水輪。曼荼羅は、宇宙を示したものと言われるように、多くの要素を持った集合体で、空間・領域・場を表しており、つながりを持った世界観が示されている。それは、渡って来た小鳥たちにも通じてくる。曼荼羅とした水輪は「みんなわ」と、雄大な心地の句として心に響いてきた。とは言っても、思う事の半分も言葉として記すことのできないもどかしさをどうしようもなく抱えてしまった。(博子)
埼玉県という県名発祥の地とされる「埼玉(さきたま)」の地に、「さきたま古墳群」とよばれる前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳が国の史跡として整備されている。大賀博士が発見した、古代蓮の咲く池もここにあり、実景と思われる。仏教的イメージを持つ「蓮の実」と、広い「古墳群」の光景に、古代より蘇った蓮の躍動と、浄土の荘厳を思う作者であったのでしょう。(博子)
割れた柘榴の実は不気味な感じさえするが、その一粒一粒はルビーのように美しい。口に含めば酸っぱくて、これも初恋の味?。「とほき日よ」とひとりごつ作者がなんだか可愛らしいですね。(博子)