「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

魚は氷に上るロダンの肘の夢 及川原作 「滝」4月号<滝集>

2014-04-30 05:26:35 | 日記
 ロダンと言えば「考える人」がスッと見えてきます。肘に
注目したことも然る事ながら、思索にふける人物描写とされ
る像に「春眠し」を纏わせた詠みの柔軟さに思わず感嘆の声
を上げてしまいました。考えることから解放されて見る夢は、
割れた氷から魚が躍り出る軽快感に似て、明るい陽射しの中
に背伸びして、柔軟体操をしそうですね。(H)

下萌や時計は刻をすり減らし 平川みどり 「滝」4月号<滝集>

2014-04-29 05:44:23 | 日記
 枯れ草や残雪の中から小さく草が顔を出しているのを見る
と、その健やかさに心が弾み、春が巡ってきた事に「さあ」
と、何かを始めたくなったりするものですが、「時計は刻を
すり減らし」という時間が配されて、春までに成さなければ
ならなかった事が不意に頭を過ったとも、つい長い時間下萌
を見ていて「もうこんな時間」と慌てたとも、時計に動かさ
れている人間の時間と、自然の時間の、同じだけれど違う今
の切取。草と人間の一生の対比、と思う中に、進まない震災
復興が見えて来てならないのです。下萌する大地の未曾有の
大地震から三年。無情に時ばかりが過ぎ行く感じが拭いがた
く心を占めてしまいます。(H)

ヨーヨーのくるくる回るもどり雪 越谷双葉 「滝」4月号<瀑声集>

2014-04-28 05:23:05 | 日記
 ヨーヨーは回転しながら落ちて、紐が伸びきればそれ以上
落ちることができないが、慣性で回転を続けようとするため、
今度は反対向きにひもを巻き込んでよじ登ってくる。この時
働く重力が「もどり雪」という「忘れ雪・なごり雪」のよう
な冬の終わりの湿った重い雪を思わせますし、摩擦の影響で
元の高さまでは戻らないヨーヨーの紐代が、春が近づいてき
た気分と呼応する句だと思いました。楽しい句ですね。(H)

森に入る大き足跡春祭 服部きみ子 「滝」4月号<瀑声集>

2014-04-27 06:50:12 | 日記
 古くは、新春に行われ、農耕のはじめにあたって作神を迎
え五穀の豊穰を祈り、疫病などを祓う春祭りでしたから、積
雪についた足跡でしょうか。今は春に行われる祭りの総称と
して詠まれているようですから春泥に見た足跡でしょうか。
地域にある小さな鎮守の森を思いましが、中七に切れがあり、
森と春祭りは別々の景として見るのかも知れません。いずれ
にしても「大き足跡」に農に携わる男性の体躯や力強さが思
われ、春祭の本義と良く響き合う句だと思いました。(H)

海峡の風のうねりやふぐと汁 中川浩子 「滝」4月号<瀑声集>

2014-04-26 04:37:45 | 日記
 昔、河豚は中毒で死ぬ者が多かったので禁制になったがそ
れでも美味の誘惑には抗しきれず、ひそかに食べ続けられた
そうだ。今は資格を持った料理人が捌き、お刺身を作った残
りの身を味噌汁にするそうなので、絶命の危険は無いに等し
いけれど、芭蕉は「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁」と、
蕪村は「河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉」と詠んでいるこ
となどを思いながら関門海峡に目をやり、命がけで食べられ
ていた河豚汁を堪能したのでしょう。特別な言葉ではないけ
れど「風のうねり」という描写が旅情を生む句だと思いまし
た。(H)