春先の寒さをしのぐための肩掛けの、厚からず薄からずの素材の感じや、ふわっと巻いて、解けないように胸の辺りに添える手が見えてくる。そんな仕草を「ときめき透けぬやう」と乙女チックなフレーズで心の春に転換した手腕は見事に私の胸を打つと言うよりは射って、秘めざるを得ない恋など思わせて、『また小説書いて見ようかな』などと、ぼんやりとヒロインのイメージを立ちあげようしている自分に戸惑ってしまう句だった。(博子)
『数式かあ』と、拒否反応の心に揚雲雀がピチクリピチクリ鳴いている。「てっぺん」というのだから、山形か三角か・・・、一番ということか・・・、パスカルの三角形?。ん、ピラミットも数学と結びついた秘密がたくさんある。「揚雲雀空のまん中ここよここよ 正木ゆう子」と、雲雀がピラミットのてっぺんを教えて鳴いている。・・・俄然面白くなってきたが収拾がつかなくなった。季語の解説にもどってシンプルに鑑賞することにする。数式を解く頭の上で雲雀が一日中の春の長閑な空を思わせて囀っている。高校生になって難度の高くなった数学。天気がいいのに遊びに行かない子。そんな構図だろうか。中間テストが近いのかも知れませんね。(博子)
フーと吹いて、フワーッと出るたくさんのシャボン玉に多元宇宙論。多元宇宙論は仮定の理論ですが、シャボン玉が星のように丸い事、星が一生を終えるときに起こす大規模な爆発などが、はじけて消えるシャボン玉に通じてくる。「たくさん」と言う事に呼応を持つこの発想の飛ばし方は凄いとしか言いようがない。(博子)
字面は黒と白の対比の句だが、青空に咲く白木蓮の格別な美しさと香りに心を奪われた朝があり、帰宅の夜があった数日だったが、花期の短い白木蓮の性急ともいえる容色の衰えにみた滅びの兆し・・・。それはブラックホールが迫っているからだとした作者の感性に舌を巻く。大気のある地球も、夜は真っ暗な宇宙の中の一つの星。翌朝、ブラックホールに吸われ、舞いのぼることは回避できたが、顕著なダメージを受けた花弁が散り敷いている。やがて、純白は地の色に同化して、単なるハイヒールの通勤路に戻るのだ。「奇跡の星・地球」。そんな言葉を思い出し、その一瞬を詠む俳句という文芸のなんと底知れないことかと、嬉しいような恐いような想いを運んできた句でもあった。(博子)
どっちに軍配が上がったのでしょうね。うろ覚えだけれど鬨也先生の句に「初夢の燕返しに疲れたる(間違っていたらごめんなさい)」があったような気がして、飛燕の疲れが見えてしまう。この川は現世とあの世を分ける川なのだろうか。まぶしさに目を細めれば、鬨也先生のお顔が見えたのかもしれない・・・(博子)