「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

蝉しぐれ遷化てふ死のありにけり 加藤信子

2019-08-23 05:25:13 | 日記
 新聞の死亡広告を見ていたのだろうか。いつもは「~〇〇歳で〇〇〇のため永眠いたしました~」と記されるが「遷化(せんげ)いたしました」と記されている。そう表された「死」の違和感のようなものが詠まれたかと思う。「遷化」は、高僧の死亡を婉曲的に、かつ、敬っていう語で、正しくは遷移化滅(せんいけめつ)で、この世での教化を終えてあの世での教化に移るという意味。人によい影響を与えて善に導くことは続けられてゆく。そんな特別な「死」であるのだろう。七日間といわれる蝉の一生の、いよいよ激しい蝉しぐれの「生」と高僧「死」。思わず天を仰ぎ見る句であった。(博子)


教会のとびら全開若葉風 中井由美子

2019-08-21 19:37:41 | 日記
季語使いの上手な句。すっと景が見えて、色彩の美しさも感じられる。難しい言葉も漢字もなく、ストレートに爽やかで深呼吸したくなる。どの俳句入門書だったか忘れてしまったが"出来るだけ平明なことばを使うように心がける。それが人の心に感動を与える重要なポイント" そんな事が書いてあったのを思い出した。(博子)


沖縄忌似顔絵描の元兵士 佐藤珱子

2019-08-19 18:47:59 | 日記
 「沖縄忌」は、組織的沖縄戦が終わったとされる6月23日。毎年テレビに向かって黙祷する「慰霊の日」。戦争はふつう、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦うものだが、沖縄戦は、10代前半の子どもも含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。軍人も、武器をもたない住民も、まぜこぜになったまま地上戦がつづき、日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとも言われます。そんな体験をした元兵士は九十歳を過ぎていると思われる似顔絵描き。御遺影の肖像画を描く方かもしれません。「たくさんの御霊よ安らかなれ」、そんな思いを込めた筆使いが思われます。私は若くはないけれど戦争を知らない。そんな私には「沖縄忌」を詠むことも、鑑賞することも難しい。躊躇が先にたちなかなか書くことが出来なかったし、沖縄での戦いを知ろうとすればしただけ、涙が流れ、胸が苦しくなります。黙祷。 (博子)

木苺を摘めば微かに水の音 齋藤善則

2019-08-17 17:18:51 | 日記
 ラズベリータルトは食べたことがあるが、なっている木苺を見たことがない。
「谷の奥妻の木苺熟るるころ 矢島渚男」
があるので、初夏の木漏れ日のまぶしさの中に木苺が生っていて、遠くに水の音がしている。そんな景なのだろう。木苺のみずみずしさも思われて、口の中に甘酸っぱさが広がってくるような句だ。水の音も掬って飲みたいですね。(博子)

北限の伊達茶の香気聖五月 栗田昌子

2019-08-15 17:43:36 | 日記
 宮城県下唯一の茶畑で生まれる北限のお茶を「伊達茶」と言い、感激の美味しさだというが、私は飲んだことがない。北限のお茶を育てるのは容易ではないようで、調べた限り、ここに記すにはあまりに長い経緯があり、断念せざるを得ないが、お茶所の静岡を思えば、その気候の違い(寒さ)は明白で「夏も近づく八十八夜」には摘まれず、「百八夜」に摘まれるそうだ。手摘みされた新茶はすぐに予約でいっぱいになるという。販路を広げず、塩竃の店舗とホームページでの販売と、ペットボトル版の「伊達茶」がJR塩釜駅で販売されているとのことです。さて、配された季語は「聖五月」。五月には聖母祭などカトリックの重要な祝日が目白押しに詰まっていて、それ故にカトリックの国で五月を聖五月というのだそうで。何故季語として取り入れられたのか定かではありませんが、なんとなく支倉常長が思われました。お茶請けは仙台銘菓「支倉焼」がいいかもしれませんね。(博子)