「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

とりあへず高枝鋏年詰まる 渡辺登美子

2017-02-23 04:35:53 | 日記
 しなければならない事がわんさとある年の暮。普段から気にはなっているものの、高い所のも物の整理や掃除はつい億劫で、この頃、意を決してやることになるが、それが剪定というのが意表を突いて面白い。良く考えてみれば、踏み台に乗ったり、脚立に乗ったりするよりは、地上から刃のついた鋏で枝を切る方が危険が少ないかと、決して若くない作者が「出来る事」として選んだ事に合点がいく。そろそろ「ともかくもあなた任せのとしの暮 小林一茶」と、炬燵にいてもいいはずですが、お元気なのですね。「年詰まる」が、込んだ枝まで言い得るようで、高枝鋏を槍のように構える後ろ姿に気合を感じる一句でありました。(博子)

島甚句守り冬菜の畝を切る 赤間 学

2017-02-21 03:35:25 | 日記
 「甚句」は、七七七五形式で、江戸時代後期から各地で歌われていたそうだ。地域的な特色が濃く、田植唄や草取唄のように、辛い労働を慰めるために、歌われ、踊られ、活力にしていたという。「島」という、言ってみれば小さな単位と、「守り」という長い時間に人生が見える。
この「守り」は土地を守ってきたという事にも、島甚句の伝承に尽力してきたとも取れ、人となりまで見えるようだ。
 今は、畝も機械で作る事が出来るようになった。そんな楽を思えばこそ、昔の辛い畑仕事に思いが行くのだろう。晴れた空の下、エンジンの音にまぎれて島甚句が聞えてきそうだ。(博子)

免許証返す勇気やみかん剥く 高森久典

2017-02-20 05:33:53 | 日記
 最近、高齢ドライバーが起こす交通事故のニュースが多く報じられる。作者も考えてしまうのだろう。車という移動手段がなかったら正直困るのである。田舎に住む私にはよく分かる。バスは一日二往復しかないし、それ以前にバス停まで歩く難儀もある。タクシーも廃業してしまった。そんな状況下で、父が去年、自分から運転をやめた。今はアシスト三輪車に釣道具を積んで近くに釣に行く。遠くに行くときは乗せていくが、自営業だからそれが叶う。日中留守番の身では、その決断には本当に勇気がいるのだ。のんびりした「みかん剥く」の仕草にみえる葛藤に共感する。(博子)

ブランデーグラスを染めてペチカ燃ゆ 鈴木弘美子

2017-02-19 03:38:21 | 日記
 ナレーションだけが流れる映画のシーンのような句。火の映るグラスは、静かな部屋に仮想を巡らすのに十分な余白を秘めている。ブランデーグラスは人の存在。ペチカが暮しを語るからだろうか。私の忙しすぎる日々がスッと別世界に運ばれたような感覚に魅かれた。(博子)