そろそろ雪が降るかという時期に現れる雪ばんば(綿虫)。遠くから、それも寒い中、よくおいで下さいましたと客人を労うやさしい語り口が雪ばんばのふわふわ飛ぶ様子とよく合っている。この季語の長閑さとかメルヘンの内包を思えば、幼馴染だろうか。古里や、そこでのたくさんの思い出を語れる人のような気がする。迎える温和な笑顔が見えるようだ。たぶん年賀正を欠かさず出して、何度か変わった住所を知らせていた大切な人なのだろう。作者は89歳と記憶している。筆まめで、私にもPCメールで近況や句評を送って下さる。そしていつも「あんまり頑張るんでないよ」と書いてある。忙しいけれど何とか頑張れるのはそんな優しい言葉のせいかもしれない。(博子)
大掃除や障子貼り、注連飾の用意など、年用意は本当に忙しい。その合間に三度の食事の支度もしなくてはならないし、お節料理も作らなくてはならない。お雑煮用のひき菜を軽く茹でてもおかなければならない。掲げる句はそんなシーンだろうか。年末になるといつも『私も実家欲しい』と思う。家付き娘の私の年末は初売りの準備まで含み過酷である。今年は台風被害で店舗の片付けが終わらずに初売りを諦めたのでいつもよりは少し楽だったが、正月客と家族で92歳から5歳までの16人。12畳の茶の間に、人も料理もぎっしりである。最近は洗うのが大変なので紙皿を使っている。今年は孫が二十歳(女の子)になってお酒が飲めるようになった。この子は東京でお正月を迎えたことがない。大学で全国のお雑煮を作って食べる授業があったそうだが「おばあちゃんのと違った」と言う。それぞれの家にそれぞれの年用意があって、それぞれの忙しさがある。そんな事を思った句だった。(博子)
「波」「冬」、それだけで冬の日本海の波の荒さが見えるようだ。大しけで船を出せない漁師さんからの便りだろうか。贈られた鰤や鰰に添えられていた便りだったかもしれない。「元気に冬を乗り切って・・・」そんな気持ちの通い合いが思われた。(博子)
計り知れない未知の空間が広がっているとされる宇宙。その宇宙の構造や歴史・未来、宇宙の法則を明らかにしようと挑むのが宇宙科学(天文学)だが、掲句は生も死も、宇宙と一体とする仏が説いた教法に基づくものだろう。美しい碧色の龍の玉がまるで地球のように配されて、その中に作者と、作者の視線があるように景をしぼって詠まれた句。どなたか大切な方を亡くされたのだろうか。姿がなくても一緒に要る。そんな感覚は私にもあって、そんな時思い出すのが金子みすゞの「星とたんぽぽ」。<見えぬけれどもあるんだよ/見えぬものでもあるんだよ>。は、『ちゃんと見てるから頑張りなさい』と、背中を押してくれる。(博子)
たぶん下仁田の葱畑ではないのだろう。現地の下仁田葱はたくさん栽培され、収穫は機械でする。機械が葱の根の土をある程度落とした状態で出て来るから土埃はたたないと思われる。最近では品種改良が繰り返され、他地域でも栽培出来る新種の下仁田葱ができたそうだから、この句は、手掘りで、畑から持てるだけ抱えて「ばさ」と置いたのだ、土ぼこりが立ったのだ。咳き込んでしまいそうな臨場感がとても良い。(博子)