「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

歳晩やトラック滴るまで洗ふ(山口誓子自選自解句集・講談社)

2010-12-31 20:30:22 | 日記
 「歳晩」は歳末、年の暮れである。年が押しせまったので
あるが、この句は大晦日の夜のこととして味わって欲しい。
 トラックがあるので、運輸倉庫の現場など、想像して欲し
い。
 今年も終わるというので、トラックを洗う。水道の水をホ
ースで掛けて、トラックはずぶ濡れとなり、水は、たらたら
したたり落ちる。
 そんな風に徹底的に洗車をしているのだ。
 私は、それに「歳晩」を感じた。
 トラックを洗うのは、毎夜のことかも知れぬ。しかし、大
晦日の夜の洗車は、ことし最後の、入念の洗車にちがいない。
水道の水は、トラックをずんぶり濡らし、地上をも水だらけ
にする。そこに、歳晩の一場面がある。
昭和二十六年作/『和服』所収

 こんな風にさっぱりと、一年の区切りの日を迎えられたらいいですね。
 皆様、良いお年を・・・。(H)

武士のおもはくの橋花芒 塗  守(12月号滝集) 

2010-12-30 05:08:25 | 日記
 過日虹の会の吟行で多賀城市を訪れた。壺の碑と多賀城
国府跡は何度も行っているのに、末の松山とか野田の玉川
には一度も訪れたことがなかったのだ。当日は多賀城在住
の赤間白石氏の懇切丁寧なガイドと絶好の秋晴れに恵まれ、
歌枕の地多賀城を十分に満喫することが出来た。
 「おもはくの橋」は末の松山や沖の石からほど近い野田
の玉川にかかる橋のひとつで、安倍貞任伝説があるいかに
もゆかしい感じのする橋である。今でこそコンクリート製
で奇麗に整備されているが、かつては一面が芒の原で、遠
くには太平洋も望めたかもしれないと、しばし思いに耽っ
たところである。ところで、「武士」は当然もののふと読
むが、あるいは表記も平仮名のほうが良いかもしれない。
(S)

行く先を告げぬ外出汀女の忌 中井由美子(12月号滝集) 

2010-12-29 07:08:16 | 日記
 中村汀女は熊本出身で、同郷の夫が大蔵省の税務官僚だっ
たために全国各地を転々としている。仙台には二度も転住し
ているので特に馴染みが深いことであろう。昭和初期の有力
女流俳人として、4Tの一人に数えられるが、本人はあくま
でも貞淑な妻を貫き通したようである。とは言え、俳句には
若い頃より並々ならぬ力を注ぎ、自らも結社を主宰している
くらいだから、外出することも多かったことだろうし、句作
のためふいと行く先も告げず出かけることもままあったに違
いない。あやかりたくなる作者の気持ちが痛い程伝わってく
る。(S)

十月や読むべき本に見下ろさる 青山一誠 (12月号滝集)

2010-12-28 06:02:07 | 日記
 十月とくればまさに読書の秋。灯火親しむ頃である。何か
と忙しい作者もたまにはゆっくり読書でもしてみようという
気になったのか、それともかねてより読みたい読まなければ
と思っていた本があったのかも知れない。ふと本棚に目をや
ると「おい、何時になったら読むのかね」とでも言いたげに、
その本に見下ろされたというのである。実に読書家の面目躍
如というところである。(S)

水澄むや蕨手刀の目覚めたる 清野やす (12月号滝集) 

2010-12-27 06:47:43 | 日記
 蕨手刀とは奈良時代から平安時代初期の短期間に使われた
刀と言われる。それ以前の直刀に対して、湾状に反りがつい
た初めての刀であり、日本刀の原型とも目される。一関周辺
から釜石一帯にかけて特に良質の磁鉄鉱や餅鉄が産したこと
が優秀な鍛冶製鉄を可能にしたようである。鬨也主宰の句集
「曲炎」に取り上げられている刀は、隕鉄を材料としたもの
とされているが、法華三郎刀匠の技にも、古代よりの蕨手刀
に続く舞草刀の技法が延々と引き継がれてきているのかも知
れない。(S)