「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

手にのこるトマトの匂ひわが山河 浅野 広 「滝」9月号<滝集>

2014-09-24 04:57:36 | 日記
 「わが山河」は、作者の故郷か。故郷は、幾つになっても
いい。優しい母、頼もしい母、母の膝は恐ろしいものからの
避難場所であった。山も川もあり樹木におおわれていて、水
は冷たく、吹き抜ける風は涼しい。故郷では当然のようにト
マトを栽培している。我が国では、最初は鑑賞用として植え
られ、食用として一般に普及したのは大正末期以後とか。新
鮮なトマトを切るといつまでも匂が手に残っている。「山河」
によって家のたたずまい、そこに住む人達までが写し出され
て来るようである。この句は、生活の一場面を詠んでいるよ
うでいながら、山河の永遠性を詠んでいるのだ。(及川源作)

電柱の恋の落書蝉しぐれ 佐藤千代子 「滝」9月号<滝集>

2014-09-23 05:13:57 | 日記
 ガード下や地下鉄へ続くトンネルなどでスプレー塗料によ
る落書きをよく見かける。商店街のシャッターや壁や塀など
にも色々落書きがされている。消せば、翌日にはまた同じよ
うに落書きがされ、社会問題になっている。
 この句は、同じ落書きでも、恋の落書きである。相合傘に
男と女の名前が書いてあるのか、と色々想像すると楽しい句
である。「蝉しぐれ」の季題がこの一句の抜きさしならなぬ
構成力の源となっている。(及川源作)

太陽へ蛇口全開蝉しぐれ 遠藤玲子 「滝」9月号<滝集>

2014-09-22 04:31:19 | 日記
 「蛇口の全開」は、断定的措辞が水の勢い、量の多さを強
調している。細い管ではなく、口径の太蛇口を思わせる。あ
るいは、蛇口がたくさん並んでいる小学校の校庭にある水道
の蛇口が一斉に上向きに水が出されていると想像した方が楽
しい。蝉の声は暑い夏を一層暑く思わせるものの筆頭だろう
が、おかしなことに、その時期にあまり鳴き声が聞こえない
と逆に気候に異変が生じているのかと不安を感じたりする。
蝉に大自然の使者を感じとっている。(及川源作)

軽トラックやにはに西瓜並べだす 長岡ゆう 「滝」9月号<滝集>

2014-09-21 04:48:08 | 日記
 街道を車で走っていると、小さな立看板を見つけた。立看
板には、尾花沢の西瓜あります。あと50m先。そこには一台
の軽トラックが止まっていた。女の人が忙しそうに西瓜や桃
などを並べていた。助手席の相棒の好奇心から覗いて見るこ
とにした。西瓜の中に四角形の西瓜を見つけた。最近増えて
いるという。四角形の西瓜に何の価値があるのか、不思議で
ならない。相棒は、切るのに都合がいいわねと、愉快な顔を
していた。縁側に座って西瓜を食べながら庭に種をぷっと吹
くというのは遠くなりつつ昭和の光景となった。(及川源作)

打水を待たせ勝負のけんけんぱ 外崎光秋 「滝」9月号<滝集>

2014-09-20 07:18:01 | 日記
 「けんけんぱ」は、全国どこでも伝わる子供の遊びだ。ル
ールや遊び方も地方によって色々ある。一般に丸い輪を描き、
最初の輪に石を置き、けんけんぱと片足跳びをしながら決め
られた一定の場所を往復し最初に置いた自分の石をもってく
る。ルールには石を取る時に足が動いたり、石をひきずった
りしたらアウトで負けとなる。何回かくり返し行い勝負を決
める。今、勝負は闌なので、打水を待たせている。けんけん
ぱを終わるまでまってくれた大人の思いやりが、やがて成長
した子供達にわかる時がくる。殊に弱者を労ると言う気持ち
の原点になってくれることを祈る。この句は、簡素な表現で
あるが、実に明快に詠われている。(及川源作)