自分が自分に戻る。そんな瞬間が詠まれている。目を閉じて木犀の香を胸いっぱいに吸い込みながら、手は仕事の邪魔にならないように結わえていた髪のゴムを外す。この解放感は私も髪が長いので良くわかる。朝の化粧も、きっちり髪を結わえることも、否応なく家業を継がされた私の日々の戦闘準備のようなものだ。働くための武装に心も従ってくる。
木犀に犀の字が当てられたのは幹の模様が犀の皮に似ているためだそうだ。「犀の角」を思った。季語はこれでなくてはならなかったのだ。自分は自分をやめることはできない。ただ独りの存在として「働く」のだ。それは「滝」の主宰として、という事なのかもしれない。角はただ一つだけ。しかし、決して一つだけでは有り得ない。自己と他己が一つの如く・・・、そんな感じがした。(博子)
木犀に犀の字が当てられたのは幹の模様が犀の皮に似ているためだそうだ。「犀の角」を思った。季語はこれでなくてはならなかったのだ。自分は自分をやめることはできない。ただ独りの存在として「働く」のだ。それは「滝」の主宰として、という事なのかもしれない。角はただ一つだけ。しかし、決して一つだけでは有り得ない。自己と他己が一つの如く・・・、そんな感じがした。(博子)