「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

春風やザルツブルグの塩かじる 鈴木ひびき

2017-05-22 04:20:36 | 日記
 ザルツブルグは紀元前からザルツァッハ川の水利を生かして、近郊で採れる塩の運搬で栄えた街。お土産として頂いた物だろうか。岩塩を齧るという臨場感は「春風」という柔らかいものと取合わされて、いっそうの硬さを思わせる。音楽好きな作者を思えば、この地はモーツアルトの生誕地。同じ齧るのなら「モーツァルト・クーゲルン」という、モーツァルトの顔がプリントされたアルミの包みに入った丸いボール状のチョコレート菓子が良かったのかもしれない。そんな皮肉を思うのは私だけ?(博子)

風船のぶぶぶぶぶぶと萎みをり 佐藤 博

2017-05-19 05:57:30 | 日記
 皆に分かって、しっかり景が見えて、今迄なぜ詠まなかったのかと口惜しい感じのする句ではないだろうか。膨らませた風船の手を離すと、ぶぶぶぶと音を立て、くるくると予測不可能な動きをして、ペシャっと落ちる。それが面白くて、子供達に何度も風船を膨らませられた昔を思い出した。追い掛けて、転んで泣いて・・・。そんなことを思っていて
「かつてラララ科学の子たり青写真 小川軽舟」
を思い出した。傍にはきっとお孫さんがいて、ご自分の子供の頃に思いがとんでいる。(博子)


しあわせの質量春の雪降れり 平川みどり

2017-05-18 04:57:52 | 日記
 物体固有の量が質量である。「さて、しあわせの質量とは」と考えていることから始まった句ではない。春の雪を見ている写生句である。眼前の情景の儚い美しさ、もうすぐ来る春という胸に感じる暖かさに想起された「しあわせ」。その質量は測りようもなく、目にも見えず、しかし確かに存在すると、詩心が言わしめている。こんな句に出会う事も言ってみれば幸せ。そして、五感を込める俳句の器も幸せの質量に似ている。(博子)


男去る残雪の杭引き抜きて 遠藤玲子

2017-05-17 04:31:21 | 日記
 何のために挿され、何のために抜かれた杭なのだろう。がっしりとした男が力任せに杭を抜いて去ってゆく。残雪の白と、杭穴の中の土の色がクロス―アップされて終る句は、まるで、弁士のいない無声映画を見たような不思議な読後感である。その不可解を余白として読み手を惹きつける句にしばらく浸り、勝手に物語をつむぐのも楽しい。(博子)