「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

白き翅ぶつかつて来る春の夢 谷口加代 「滝」6月号<渓流集>

2015-06-22 19:18:26 | 日記
 蝶が顔を目がけて飛んできた。思いがけず交わすことがで
きた。そんな俊敏な自分の動きに戸惑っていたら、何と自ら
も蝶だったのだ。こんなふうに真っ先に荘子の「無為自然」
「一切斉同」の説話である「胡蝶の夢」と能の舞台が浮かん
だ。中七の「ぶつかつて来る」の措辞には、蝶よりももっと
固形の体躯をもつ甲虫の類が似合うのかも知れない。合致す
るのが兜虫。あの昆虫の王様は、羽化の際に体が真っ白にな
る。白い翅を持つ飛翔体が顔にぶつかる瞬間われに返った。
その刹那、翅がふたたびぶつかってくる。堂々巡りの夢とな
る。こんな決して目覚めない物語を思ってしまう。今度はマ
ウリッツ・エッシャーの錯視絵が浮かんできた。春という、
ぼんやり、曖昧の季節にあって、この物語に終止符を打てる
のだろうか。夢という絶対的な孤独が不思議な充足感を生み
出している。夢を写生した一句だ。(石母田星人)

牡丹絢爛二重らせんの縺れ出す 成田一子 「滝」6月号<瀬音集>

2015-06-21 19:02:50 | 日記
今年の牡丹は見事だった。まさに絢爛。注目は中七以下。
遺伝子は生命体を根本的に規定している構造物。二重らせん
と結び目で構成されている。生命体が自らを複製し子孫を残
すには、多彩なDNA代謝を繰り返す。その際、時としてら
せんに縺れや絡まりなどが生じてしまう。それらが解消され
ない限り、代謝の進行は物理的に不可能となり停止する。中
七下五の「二重らせんの縺れ出す」は、生命体の危機的状態
の序章。こうなった場合は、細胞の中にあるDNAトポイソ
メラーゼという酵素が活躍する。二重らせんの縺れや絡まり
をほどいたり、交叉したDNAが互いに通り抜けられるよう
にしたりする。それでも解消できない縺れもあり、その個体
には死が訪れる。しかし遺伝子は滅びない。個体は死滅して
も種全体としては必ず生き延びる。遺伝子は生と死の反復の
不思議をも内蔵しているからだ。牡丹の圧倒的な輝き。作者
はその豪華さの中に清浄無垢を見た。同時にそこには滅びの
呪文も潜んでいると感じたのだ。(石母田星人)

初蝶や指輪を外す墓の前 阿部風々子 「滝」6月号<瀬音集>

2015-06-18 04:20:39 | 日記
 指輪を外すことは日常生活であっても墓の前とは、作者の
強い意志が感じられる。父母の墓であれば、親の希望とは逆
の道を選ぶことにしたので、墓前に報告したと思われる。妻
の墓であれば別のことも考えられる。ついこの間まで鹿児島
に、作者は雪の多い札幌に今住んでいる。県内だけ移動を経
験した私には大決断のように思う。その決断かもしれない。
三月の初めに見かける初蝶は風の中をたくましく飛ぶので、
墓の前との取り合わせが良い。この句から作者の強い精神力
を感じた。(Y)

黎明の蝶が呪文を出てゆきぬ 石母田星人 「滝」6月号<瀬音集>

2015-06-17 04:20:16 | 日記
 蜻蛉は筋肉で飛ぶのでなめらかで、飛ぶ先も予想できるが、
蝶は胴体で飛ぶので、ぎこちなく、近くの花に止まると思っ
ても別の花へ、飛ぶ先の予想が難しい。蝶は「薄くてひらひ
らした羽根を持つ虫」の意味。夜が明けるまだ寒さの残る空
気には白い蝶が似合っている。誰の呪文か分からないが、そ
の呪文から解き放されたように飛ぶ蝶も白が似合う。春の季
節感が爽やかに感じられる句でした。(八島 敏)

トンネルの出口を蝶の昼と思ふ 菅原鬨也 「滝」6月号<飛沫抄>

2015-06-16 03:36:43 | 日記
 山形に行く途中の関山峠に長いトンネルがある。そこは薄
暗く、じめじめしている。早く出口が見えないかと車のスビ
ードを上げ、出口の光が見えた時にはほっとする。川端康成
の代表作の雪国は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であ
った。」を思い出した。トンネルの出口から物語が始まる。
 主宰の句は出口を蝶の昼と思ふと言い切っている。蝶々は
一斉に飛び出すか、あるいは、北限を越えて来る珍しい蝶一
頭かもしれない。光を頼りに飛ぶ蝶。トンネルの出口こそ色
々なことを想像できると示唆しているように思う。(八島 敏)