健やかな太陽、明るい風、匂やかな芽吹き、動き出す生き物たち。「三月」という季語はそんな躍動感を持っているが、東日本大震災以降、追悼と祈りの意味を色濃く持つようになった。それぞれの胸に震災の傷ましさがあり三月を生きている。いろいろな意味で「命」を意識する月でもある。そして、社会的には新年度に向って変化に対応する準備期間でもある。気持ちを新たにするためにする深呼吸は、横隔膜を押し上げ、胸が張る。三月の空の柔らかな陽射しに両手を広げて「歌へとかはる」と、明るい方へと動く心。それぞれが踏み出す一歩ですね。(博子)
潮吹を吹く元気な鯨に、亡くなられた鬨也先生を想う句である。「根の国」は黄泉の国と同じだが、海の彼方、または海の底にある国とされている。「亡くなられたけれど先生は海に居て元気だよ、ほら潮を吹いてるよ」と言われた気がして、『うん』と頷いて涙を拭った。
「鯨波」に「鬨の声」の意味合いがあり、「鯨」は創刊主宰菅原鬨也先生と同義のように存在する。三回忌の今年、「鯨波忌」としてたくさんの句が詠まれたことが今号の「虚実淙淙」に記されている。又、「どの子にも水飲むコップ鬨也の忌 成田一子」<会員のひとりひとりに、俳句という「器」を、そして各人の個性に合った「コップ」を用意して私たちの師は旅立ちました>と言葉が添えられている。学んだことが形見である。このブログも鬨也先生の無茶振りで始まった。止めてしまおうと思いながら、何故か書いてしまうのも「コップ」なのかもしれない。(博子)
「鯨波」に「鬨の声」の意味合いがあり、「鯨」は創刊主宰菅原鬨也先生と同義のように存在する。三回忌の今年、「鯨波忌」としてたくさんの句が詠まれたことが今号の「虚実淙淙」に記されている。又、「どの子にも水飲むコップ鬨也の忌 成田一子」<会員のひとりひとりに、俳句という「器」を、そして各人の個性に合った「コップ」を用意して私たちの師は旅立ちました>と言葉が添えられている。学んだことが形見である。このブログも鬨也先生の無茶振りで始まった。止めてしまおうと思いながら、何故か書いてしまうのも「コップ」なのかもしれない。(博子)
年の初めをきっかけに始めたヨーガ。初めてというのは驚くことも多いものですが「屍のポーズ」とはなんと配慮のないネーミングであることかと、俳人として言葉選びの熟慮が身に着いた作者ならずとも聞き返してしますそうです。ポーズ自体は仰向けに小さな大の字になって、体を大地に預けるようなイメージで全身の力を抜いていきます。心身ともにリラックスさせる効果があるそうで、「生」を感じるボーズなのだそうです。やってみたくなりまた。(博子)
作者は仙台市在住ですから大崎八幡宮のどんと祭の火でしょう。現在では宗教的意味あいは少なくなっているようにも思いますが神事から始まった事。さて、神様に授かった句はどんな句だったのでしょう。ごく稀にそんなことがありますね。(博子)
我が家も商店なので身につまされる。つい先日、同業者が今後のお客様のメンテナンス以来に来られた。従業員の雇用の目途がつき、閉店を決めたのだという。まだ50代のご店主さん。掲句は「マスクマスク」の表記から同じ時間帯に人の集まる飲食店のようなところを思った。繁盛していたお店の、たぶん手書きの張り紙には長年のご愛顧に感謝する言葉の後に体調のことなどが書いてあったのでしょうか。風邪の予防のために掛けるマスクに、何となくご店主さんの病も思われるような気がした。(博子)