支倉常長のミッションは、伊達政宗に遣欧使節の実行を勧
めその一行に同伴したルイス・ソテロによって、新造船に洗礼
者聖ヨハネの加護を願い船名に頂き、慶長18年(1613)
年に月の浦湾を出帆した。それは、現在の宇宙への飛行以上
に苛酷で危険に満ちていたものだっただろう。太平洋の荒波
に木の葉のように翻弄され、胃の腑が口から飛び出すほどの
苦しみも味わったに違いない。前途を予見するかのように。
こころざし半ばでの帰途、常長は厳しい現実の待つ日本への
船中、船底を掻きむしる様に祈っていたのだと思う。(木下あきら)
めその一行に同伴したルイス・ソテロによって、新造船に洗礼
者聖ヨハネの加護を願い船名に頂き、慶長18年(1613)
年に月の浦湾を出帆した。それは、現在の宇宙への飛行以上
に苛酷で危険に満ちていたものだっただろう。太平洋の荒波
に木の葉のように翻弄され、胃の腑が口から飛び出すほどの
苦しみも味わったに違いない。前途を予見するかのように。
こころざし半ばでの帰途、常長は厳しい現実の待つ日本への
船中、船底を掻きむしる様に祈っていたのだと思う。(木下あきら)