「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

手を借りる飛び石蝌蚪の水さわぐ 牧野春江 「滝」7月号<渓流集>

2012-06-30 04:52:48 | 日記
良く手入れされた日本庭園の池の中にある飛び石でしょう
か、ぬめって危ないので手を借りたのでしょう。飛び石のあ
る池は浅いので蝌蚪が良く見えます。「水さわぐ」からかなり
沢山の蝌蚪がいることがわかります。思わずしゃがみこんで
眺め入った作者が想像され、いかにも春らしい暖かな日を感
じますね。(H)

今日は明日の昔なりけり桐の花 鴨 睦子 「滝」7月号<渓流集>

2012-06-28 04:59:26 | 日記
 「今日は明日の昔なりけり」と言い切る中に、大切に生き
る一日一日を感じる。桐の花は、淡い紫色の花を鈴なりに咲
かせる。遠望すると、ぼおっと薄紫色にけむっているような
花の様子が美しい。センチメンタルな感情にひたっていた後
の「よぉ~し・・・」という奮起なのだろうと思う。桐の花
の風情には、心を浄化させる力あるかもしれませんね。(H)

蝕の間に泛ぶ真神の巖と飯匙倩 石母田星人 「滝」7月号<渓流集>

2012-06-27 05:04:38 | 日記
「蝕」は5月21日の金環日食でしょう。真神(まかみ)は
狼の古名。狼は大神(おおかみ)なのです。日蝕で辺りが暗
くなり巌の上で遠吠えする狼。そして、飯匙倩は牙に毒をも
っている蛇です。この蛇は沖縄にいる夜行性の本飯匙倩(ホン
ハブ)なのでしょう。金環日食で月が太陽の内側へ完全に入り
込むと地上は暗くなります。狼を言い、飯匙倩を言うことで、
暗さを表現し、その暗さの中に見える太陽の細い神秘的な光
の環の「束の間」を切り取った句なのでしょう。こんな写生
の目を偸みたいですね。(H)

罌粟の花回りだしたる戦あり 菅原鬨也 「滝」7月号<飛沫抄>

2012-06-26 05:19:26 | 日記
 罌粟は未熟の果実から阿片やモルヒネを作る禁断の花。今
は、栽培禁止であるが、美空ひばりの「私は街の子」では、
いつもの道に咲いている花ように歌われている。「回りだし
たる」は回想であり、幼い頃の戦争が、真っ赤な罌粟のイメ
ージとして動き出したものと思う。戦火なのかもしれないし、
傷ついた兵士なのかもしれないし、夏の太陽かもしれない。
原子爆弾の投下で終息を見た戦争を思うと。被爆の恐さを知
っている日本で起きた震災による原発事故まで、この回想が
至ったのではないかとも思える。実体験の戦争の記憶は定か
でないのかもしれない。しかし、その後に知った戦争の知識
が、共に、あるべきではない罌粟と戦争を結びつけるに至っ
たように思った。(H)