まあ可愛い。ぽっくりの具象が七歳の女の子の着物姿を見せてくれます。唐門で履き替えさせている家族の様子も見えるようです。歩きにくいので誰かと手を繋いで歩いて行ったかとも思われます。私は小さい頃、写真で見たぽっくりと、だらりの帯の舞妓さんに憧れて、ねだってぽっくりを買ってもらって普段に履いていました。そんな事もあって、女の子の嬉しそうな顔も見えて来ます。(博子)
実景のリアル。スリッパという現代性から、眩しいのは足袋だが、はみだすという大きな眩しさは若い僧を想像させる。悲しみは詠み込まれておらず、葬儀ではなく、お寺で行われる秋彼岸法要に行かれての御作かと思う。余談だが、スリッパは金襴スリッパと呼ばれる物で、正式には「和沓」という左右の区別が無い、底が太鼓の革と同じ物で作られており、少し大きめで足の甲の部分を、まくらと言うもので拘束する履物を履くそうだ。(博子)
こんな詩心が、第54回宮城県芸術祭俳句部門最高賞「宮城県知事賞」の受賞に繋がったのでしょうね。おめでとうございます。(博子)
そんな甲冑があるの?。と調べたら、徳川家康が着用した熊毛植黒糸威具足(くまげうえくろいとおどしぐそく)という物が名古屋は徳川美術館に保管されているそうだ。「熊の毛を飾りし」と、言い方は優しいが、猛々しい甲冑。「野分雲」が、合戦の前兆のように配されて上手いですね。(博子)
霧で真っ白な視野。目を凝らしても、遠くで恐いような獣の声がするばかり。只ならぬ不安感を醸し出して、眠れない夜をへての朝霧かと、作者の屈託が早く晴れますようにと思うが、描写の上手さから感じることなのだろう。「霧」という季語が存分に活かされた句。俳句の魅力のひとかどを思った。(博子)