「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

七夕や屏風に描く天文図 佐藤憲一

2018-09-24 03:14:27 | 日記
 元・仙台市博物館長さんで、伊達政宗の研究をされている歴史家の作者ならではの取合せにおおと声をあげてしまった。七夕の空を見上げ、天文学者、名取春仲が模写したとされる「坤輿万国全図・天文図屏風(こんよばんこくぜんず・てんもんずびょうぶ)」が思われたのだろう。この天文図は、仙台市博物館の収蔵品で、画面を上下に分割し、上部には観測用の器具や天体関係の諸図を、下側には総数で1773の星を描き出す。古代中国の天体図を改良したものであるため、西洋の神話に基づく通例の星座とは様相が異なるが、銀泥で描かれた天の川を境に織姫星(織女/こと座の首星ベガ)や彦星(牽牛/わし座の首星アルタイル)も見ることができ、世界図と天文図が対をなす例は珍しいそうだ。名取春仲の出身地、大崎市岩出山の「有備館」は仙台藩の学問所で、江戸時代に天文学なども勉強もされていた。作者は東日本大震災で母屋が倒壊した「有備館」の復旧・復元に尽力されており、ひとしおの思い入れがありそうです。(博子)

水馬に鉄の香残る日暮れかな 後藤外記

2018-09-21 03:49:34 | 日記
 水馬は捕まえると飴のようなにおいを発するのでアメンボという名があるが、何と鉄の香を感じている。それも「残る」だから残り香だ。まるで溶鉱炉生まれの水馬が焼入れ水にツイーと居るような景が思い浮かぶが「日暮れかな」と、夕焼けの赤が、夜という暗さを連れてくる時間帯が据えられたことで一気に納得がいく。水馬の硬質感と無縁でもないだろう。見たものを詩(俳句)に変換するときの連想の柔軟さを思った。(博子)

猫ぢやらし町を消したる津波かな 服部きみ子

2018-09-20 07:05:25 | 日記
 ねこじゃらしのふさふさとし花穂を手折って遊んだ幼い頃の思い出は、ふふふと笑みがこぼれて甦るものだ。俳句も、ねこじゃらしに親しみをこめて、からかうように、あるいは可愛がるよう詠んだ作品が多く見られるように思う。それゆえにかえって掲句に胸が苦しなる。9月11で東日本大震災から7年半が過ぎた。目に見える形での復興は進み、何となく復興が進んでいるという錯覚を抱きがちだが、その錯覚に、被災された方々が一生懸命付いて行こうとして、見えない葛藤に揺れる心を思う。そんな猫じゃらしが詠まれたかと思う。同月4日には台風21号が、25年ぶりという、非常に強い勢力で日本に上陸し近畿地方に大きな被害をもたらし、6日には北海道に震度7の地震が発生し、又、たくさんの辛く悲しい方を増やしてしまった。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。(博子)

合歓の花宙ぶらりんの握手かな 鈴木幸子

2018-09-14 04:55:07 | 日記
淡 いピンクの房のような花を咲かせる合歓の花は夜間小葉が合掌するように閉じて眠るのでこの名がある。合掌と握手という手を合せることに呼応を持つ句で「宙ぶらりんの握手」という視点の新鮮さから実体験と思われる。最近はおじぎに加えて「出会ひ」にも「別れ」にも握手をすることが多くなった。求められるだろうと思っていた握手がなかったとも、自分から求めようとした握手の手をひっこめてしまったとも思われる句。ふわっとした合歓の花を思えば、ふわっとた心も思われる。握手という直接手を触れ合う数秒に何かしらの「想い」が心に届く感じが躊躇に繋がったかと、桃のような甘い香りもすることであるし、恋する乙女のような作者を思ってはいけないだろうか。(博子)