「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

核の塵降るふるさとの桜かな 阿部風々子

2020-05-25 04:23:06 | 日記
ふるさとが福島であることは文字になくても分かる。東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から九年が経ったが未だに二千五百二十九の方の行方が分かっておらず、避難生活を続けている方も四万七千七百三十七人もおられるそうだ。そして、核の見えない塵の中で美しく桜が咲いている。被災者の生活も心の復興もまだまだけれど、それでも桜は美しい故郷の景色としてあるのだ。日々電気を使いながら言うのもなんだが、これほどひどい目にあっても原発は要なのだろうか。(博子)

天地の青のあはひを鳥帰る 加藤信子

2020-05-23 12:40:03 | 日記
三層の映像の作り方がたくみですね。天地(あめつち)の青ですから、空の青と地の緑です。その間を渡り鳥が帰っていきます。その先の海までを想像させる詠みで、春の淡い海の色から、北国の冷たい海へと、鳥は過酷な旅に旅たちます。無事に目的地に行けますようにと願う視線も思われて、ちょっぴり感傷的な作者ですね。(博子)

税務署を出でて花屋や春帽子 庄子紀子

2020-05-21 04:30:09 | 日記
清々感に共感。確定申告が終わると本当にホッとする。我が家は商店なのできちんと帳簿は付けているが、年末の棚卸から「ああ、めんどくさい」が心から離れない。今年は、台風19号で床上浸水して片付けも終わらない状態で申告準備に入った。幸い主事が水が迫る中、パソコンのコンセントがショートしないように処置してくれたのでデーターは助かり事なきを得た。私はその「ホッと」にベークドチーズケーキを焼いた。作者はお花屋さんに行ったのですね。軽やかで明るい色の春帽子の胸にどんな花を抱えて家にかえったのでしょうね。うきうきとした足取りが見えるような句でした。(博子)

春眠や風音かはるでんでらの 八島 敏

2020-05-19 05:42:04 | 日記
長閑で暖かい春は寝心地よく夜が明けても中々目が覚めない。「や」と強く切れているので、目覚めて、見ていた夢を振り返っているのだろうか。それにしても「姥捨」を思わないわけにはいかないでんでら野。「風音かはる」というリアルは夢の中で起きていて、老いない聴覚と時間経過が、生と死のあわいの場所を現実と夢として、元気な自分の今を確認しているように読めた。昔は60歳をこした老人たちはデンデラ野に、捨てられた……。私もそんな年。余生ということを思った句でもあったが92歳の父はまだ庭仕事をし、自転車で病院に薬をもらいに行く。足腰を痛がりながら生きる意欲は衰えない。作者も生きることを楽しんでいるようで、この度、句集「回遊」を刊行されました。「滝」会員に送って下さるとのこと、とても楽しみにしています。(博子)

海底に沈む玩具や初蝶来 鈴木弘子

2020-05-18 05:49:16 | 日記
津波にさらわれた玩具だろうか。東日本大震災の記憶は消えることがなく10年目に入ったが海底に残された玩具のように、あの日から時間が止まったような心持は家族を亡くされた方にとっては殊更に辛いことであろう。本来、明るい希望や期待の心などを象徴する初蝶だが掲句の初蝶は春の訪れと共に哀悼の心を新たにするべく機能しているように思った。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止を優先して追悼式が中止されたり縮小されたりしている。心の春の伴わない春はもうたくさんだ。(博子)