作者はカトリックの信者ですから「裏切り」の言葉を引き
だしてしまう「吾がたましひにユダ潜む」は驚きのフレーズ
です。しかし、それは、作者の何となく円やかなお人柄や話
し方からの私の勝手なイメージでしかなく、不安を解消すべ
く作者に伺いました。
作者は、「ユダ潜む」は厳密に言うと、心の隅に隠れてい
る訳ではなく、ともすると「この世の力や誘惑に惑わされて
しまう弱い自分」を見つめ、神の愛を信頼し赦しを願い祈る
自分がここに居る。ということを言いたかった様です。そし
て聖パウロの手紙に勇気を頂いて祈っているそうです。「い
つも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感
謝しなさい。(テサロニケ信徒への手紙―5章16~18)」の引
用がありました。確かに、闇の中に白く浮かびあがる桜の木
の下にいると、えも言われぬ、心がかき乱される感覚をおぼ
えることがあります。それは桜の持つ儚さと呼応して、人に
心のゆらぎを自覚させるのかもしれません。(H)
だしてしまう「吾がたましひにユダ潜む」は驚きのフレーズ
です。しかし、それは、作者の何となく円やかなお人柄や話
し方からの私の勝手なイメージでしかなく、不安を解消すべ
く作者に伺いました。
作者は、「ユダ潜む」は厳密に言うと、心の隅に隠れてい
る訳ではなく、ともすると「この世の力や誘惑に惑わされて
しまう弱い自分」を見つめ、神の愛を信頼し赦しを願い祈る
自分がここに居る。ということを言いたかった様です。そし
て聖パウロの手紙に勇気を頂いて祈っているそうです。「い
つも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感
謝しなさい。(テサロニケ信徒への手紙―5章16~18)」の引
用がありました。確かに、闇の中に白く浮かびあがる桜の木
の下にいると、えも言われぬ、心がかき乱される感覚をおぼ
えることがあります。それは桜の持つ儚さと呼応して、人に
心のゆらぎを自覚させるのかもしれません。(H)