一読、寒さにこわばっていた身体がほぐされていくような句である。♪ラララ赤い花束 車に積んで・・・♪そんな歌を思い出した。譜面という四角四面の白さと、オタマジャクシのような音符に「冬の中の春」を感じ取ったのだろう。季語の持つ暖かさ、明るさ、優しさに、胸の中までほっこりするような、けれども、長くは続かない小春日和のはかなさとも響きあって、コンサートが終わって会場を出た時の外気の寒さを、なんか、思ってしまう句でもあった。(博子)
静かに舞っている綿虫は幻想的ですらあり、そっと掌に受けてみたい衝動にかられる。そんな気分が遮断棒にもあるのか「ゆっくり下りる」と雪虫を驚かせないようにと気遣っているように読めるが、綿虫「に」、ではなく「や」である。それに、遮断機がカンカンと鳴っているはずで、決して静かな景ではない。たぶん綿虫が思わせる雪の季節の到来と、遮断機が列車の通過を告げて遮断棒を降ろすことに「感知」の呼応があるのでしょう。配合の妙ですね。そして、第24回滝奨励賞おめでとうございます。(博子)
ザクッと白菜に刃を入れる。何人の来客でしょう。鍋支度をしながら思う夕食の賑やかさ。「ことば溢るる気配して」に、人を思わせ、思い描く顔がある。鼻歌まじりに夕支度をする作者が見えるようです。白菜を切られた様子や状況を詠まずに心情に転じた熟達の句。(博子)
身辺には、子孫を残すために鳴きたてる虫。遠目には、たくさんの命を育む森が長雨に濡れている。窓から見える限られた視野の描写は、夜ではなく雨の暗さかもしれない。ふと誰かを看ている時間が思われた。(博子)
私は忙しくて市民検診にすら行かないので病気は持っていないことになっているが、還暦祝いの時の同級会を思い出した。病気談義と介護談義と年金談義ばかりだった。それでも皆、元気だから集えるのだ。暗緑色の葉と鮮やかな黄色の花をもつ「石蕗の花」に暗さと明るさを託して、季語使いが上手いですね。(博子)