枡酒ですから、お祝の席にいるのでしょう。木が組まれて作られている枡は複数の人が木(気)を合わせるという意味合いも込められており、わきあいあいと賑やかで、御馳走が並んでいて、楽しい時間を想像させます。枡の中にわずかに残ったお酒はその楽しい時間の終りを感じさせます。そんな宴の中でふと自分に返って目にした月が涼しい。夏の月を愛でる短い時間にも掛かるように季語が配されたようです。(博子)
「にはたづみ」は「潦」。降った雨が地上にたまって流れる水。古くは「庭只海」とされ、なんとも情趣のある言葉である。そのにはたづみに一喜一憂のような有情を持たせた句。それを担ったのが桜であり、その上に「照る」「翳る」と天(太陽)を置き、地の雨水の小さな流れを詠んだ大きな句。それは作者の感情にも繋がってくるのだろか。(博子)
なんと「三」がみっつ。月山・羽黒山・葉山あるいは鳥海山を称して出羽三山とされ、三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)、月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=来世)、湯殿山が来世(大日如来=寂光浄土=未来)という三世の浄土を表すとされ、近世の出羽三山詣では、羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生する巡礼が多く行われ、生まれ変わり(死と再生)の意味をもった「三関三渡(さんかんさんど)」の旅とされたそうです。「花は桜」と言われるが、花が散ったあとに、いよいよ息づいたかのように繁りはじめる葉桜は、花だけで終わりではなく、まさにこれから生きるのである。季語の選択に思わずうなずいた。(博子)
「充填」が思われた。自分の体を透視しているようなニュアンスを含める為にあえて「あぢさゐ」「からだ」と平仮名表記にしたのだろう。人は半分以上水分で出来ているという。体に紫陽花色の水が満ち、心もまた浄化され、潤っている。紫陽花のたくさん咲いている所で詠まれたのだろうと思う。仙台で言えば資福寺だろうか。境内には1200株の紫陽花が植えられているそうだ。(博子)
この句も塩釜吟行句。「亦無の丘」は亦無岡(またなのおか)で、明治天皇が東北御巡行の際、 丘にて松島の景色をご覧になり、「またとない良い景色だ」と言われた事から亦無岡という名になった所だそうです。ネット検索すると「この丘から見る塩釜の港町と松島の景色は圧巻です」という感想が載っていました。吟行会は5月8日でしたから、そこにあやめ草が咲いていたのだと思ってもいいのですが、吟行会の最高点句「竹皮を脱ぐや芭蕉の船出の地 鈴木幸子」から芭蕉の旅を思えば、松島で芭蕉が感激のあまり句を残さなかったことは良く知られており、仙台から松島までの7日間、「奥のほそみち」に記された芭蕉の句は、「菖蒲草足に結ばん草鞋の緒」の1句のみとされる。この句を配したと解してもいいのかなと思った。
今号は吟行句がたくさん掲載されている。
「若葉冷え酒蔵の塀に地震の痕 梅森 翔」
「蟻潜るしおがまさまの大鳥居 中井由美子」
「国衡の朽ちぬ忠義や若楓 佐藤憲一」
「復興の駅前通り花水木 池田智惠子」
「手水舎の清めの作法ほととぎす 今野紀美子」etc.(博子)
今号は吟行句がたくさん掲載されている。
「若葉冷え酒蔵の塀に地震の痕 梅森 翔」
「蟻潜るしおがまさまの大鳥居 中井由美子」
「国衡の朽ちぬ忠義や若楓 佐藤憲一」
「復興の駅前通り花水木 池田智惠子」
「手水舎の清めの作法ほととぎす 今野紀美子」etc.(博子)