「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

絵ガラスを通り抜けたる夏の夢 阿部風々子

2021-09-27 05:57:04 | 日記
美しい作品ですね。「俳句は詩」だということをあらためて思った句でありました。「絵ガラス」はステンドグラス。「通り抜けたる」という光と時間。「夏の夢」は睡眠中の夢とも、将来への願望を意味する夢とも読める。なぜか私の頭の中に井上陽水の「少年時代」が流れてきた。♪青空に残された私の心は夏模様♪。「夏模様」という造語は「青空」という記憶装置を介して、子供のころの楽しい夏の思い出と共に、若干ネガティブな気持ちが含まれているような気がする。掲句にも同じような心を感じた。美しさと時間に達成感のようなものがあって、虚脱感としての「夏の夢」なのかも知れない。
 先日、句集を頂いた。きっと、それを頑張った九十歳の夏だったのですね。ホッとするのはまだ早いですよ。『風々子さん頑張れ、やる気は出すものだよ』と、エールを送りたい。
 句集「志ほか満」のご出版、誠におめでとうございます。そしてありがとうございます。ゆっくり丁寧に読ませて頂きます。(博子)


白きものみんなまとひて夏旺ん 庄子紀子

2021-09-25 05:03:48 | 日記
今年も猛暑だった。「白服」という季語もあり、夏は暑さを抑えるために、白色の服を着る。白と黒では表面温度が5分で20度の差がでるそうだ。「白きもの」が目に爽やかで「夏旺んを楽しんでいるみんな」と読んでいいのだろうか。コロナ禍でマスクの白も加わって白面積が多い今、白は医療従事者の奮闘に繋がり、身が引き締まる思いもする。だんだん収集のつかなくなっていきそうな気配の私の心・・・。「夏旺ん」、それだけで闊歩するみんなが見える世の中に早くなって欲しいですね。(博子)


揺り椅子に残るぬくみや多佳子の忌 鈴木幸子

2021-09-24 03:19:26 | 日記
誰かが掛けていた揺り椅子に触れている。その「ぬくみ」と橋本多佳子の忌日の組合せ。忌日季語は季重ねで詠まれることが多いが、ドキリとするような多佳子自身の「をんな」を詠んだ句を前面に据えた詠みかと思う。「ぬくみ」の肌感覚に男性の存在を思ってもいいのだろう。揺り椅子だからこそ、膝まづく体制で少し前まで一緒に過ごした嬉しい時間と、帰ってしまったという事実の余韻が切ない。会ったばかりなのにもう淋しいのだ。「そんな頃もあったなぁ」と多佳子の忌日に振り返る作者の恋かと思ってみた。
「雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子」
「雄鹿の前吾もあらあらしき息す 橋本多佳子」
そんな多佳子を
「骨までもをんなのかたち多佳子の忌 阿部知代」
と詠んだ句もある。(博子)

定刻に来たるのら猫夕焼雲 中井由美子

2021-09-21 04:43:26 | 日記
今日ものら猫さんが来た。夕餉の支度の手を止めて、家猫用のキャットフードをあげているのかもしれないですね。野良猫は動物愛護管理法の対象動物で、食べるものが無く飢えている野良猫に餌をあげる行為そのものは違法ではない。「のら」の平仮名表記は地域猫として住民の認知と合意が得られていて、家はなくても名前のある猫さんかも知れませんね。「定刻」という馴染んだ関係を「夕焼雲」という若干淋しい感じのする季語が受けている天地の景。明日の晴れは確定のような夕焼けに、そろそろ梅雨が明けるかしらと、のら猫さんの自由のリスクを思っている作者かも知れませんね。(博子)

でで虫に出合はぬままに星ひとつ 小林邦子

2021-09-19 04:32:56 | 日記
気が付けば一番星が出ている。雨催いの中、たくさんの用事を抱えて出掛けたのでしょう。動くか動かないのかわからないほどに、じいっとしている「かたつむり」の「静」に作者の「動」が思われた。「出合わぬまま」にと、雨を免れ、今は晴れた夜空という時間経過。帰路のゆっくりとした歩みに達成感の象徴のように「星ひとつ」、かな、と・・・。足元ででで虫も目を伸ばして同じ星を見ているかも知れませんね。忙しくてもバタバタ感がない「出来る人」。清楚で穏やかな印象の作者を知っているからかもしれないけれど、誕生日が同じなのに、私はガサツなのはどうしてなんでしょう。血液型かなぁ。(博子)