春先の田畑を耕す原風景のような句だ。今、多くは、用排水の利便性を向上させたり、通路を整備して目的の水田等に他の水田等を通らずに作業にいけるように耕地整理が進みトラクターで耕す。「エデン」を理想郷と解せば現実には決して存在しない景だが、春光がその景を想起させたのかも知れない。耕人を愛おしむ眼差しを感じる句でもあり、嘗てのお父様を詠まれたのかもしれませんね。(博子)
「花の雲」は、桜が一面に咲いている様子を雲に見たてた、視野を広くとった遠目の感じ。さあ見に行こうと、花衣に着替えるために箪笥を開けようとしたがしぶく、逸る気持ちが詠まれるのだろうが「蝋をひく」と出掛ける気配がない。今年は新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐために国民一丸となってステイホームに励んだ。作者のピアノ教室も中止せざるを得なかっただろう。ぽっかり空いた昼の時間帯の手持無沙汰を普段出来ない家の片付けや掃除に当てていたのか、少し引っかかりはあるが開なくはない箪笥に蝋を引いている。もう、することもなくなって来ている感じと、溜息が聞こえて来そうな句だと思った。来年は心置きなく桜を見に行きたいものですね。(博子)
「奮闘」に、新型コロナウイルスの感染リスクと背中合わせの中、最前線で働いている看護師さんを思った。そして、この黄水仙は翻弄されるほどの強東風に揺れているのかもしれない。そして、不安を抱きながらも出勤し、私たちの生活を支える仕事を担ってくださっている「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる方々への感謝の気持ちへと繋がっていく句だと思った。六月十九日から県をまたぐ移動が許可された。徐々に日常が戻ってくる嬉しさはあるが、これからの「新しい生活様式」を窮屈に感じもする。自分の為に、皆の為に防疫は続く。(博子)
大河原町と柴田町の白石川両岸8キロにわたって続く桜並木。橋の上から両岸の桜を同時に視界に捉えることができ、一目千本桜とはいいネーミングですね。この時期、船岡駅~大河原駅間で徐行運転する粋なはからいも有名です。思わず、オーとか、ワーとか声が上がるのはとても分かる気がする景です。大人数で来たのでなくても、バラバラに来たそれぞれの喚声の集まりとも思える一目千本桜の形容が見事です。今年は、新型コロナウイルス感染拡大の懸念があり、政府の緊急事態宣言を受け駐車場が閉鎖されるなど、見る事の出来ない桜でしたが、作者の脳裏にはその絶景が見えている「かな」なのでしょうね。早く全世界の人が自由に観光を楽しめる日が来ることを願ってやみません。(博子)
白木蓮ですね。「この純白」という特別感に「春に三日の晴れ無し」と言われる貴重な晴れ。「はるる」ではなく「はれる」と言い切ったきっぱりさが「済」を強調しているようにも思え、青空に白木蓮のなんと美しい事か。乙女だったころ、この花が咲くとひとひらを便箋にして好きな人に手紙を書きたいと思ったものだった。(博子)