「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

空っぽの牛舎色なき風の中 栗田昌子 「滝」12月号<滝集>

2011-12-31 21:36:03 | 日記
 空っぽの牛舎を冷たく吹きつのる秋の風。牛舎には言うま
でもなく忙しく立ち働く人の姿もないのだ。きっと、この
「色なき風」は、無色透明の秋の冷たさも、放射能も含んだ
風なのだ。詠まずにはいられな無惨が作者の中に湧きあがっ
たのだろうが、情景と風だけを書きその感情を抑えた詠み方
に惹かれた。(H)

※「竜淵に潜む乳房をてぐさにす 栗田昌子」は、鈴木幸子さんが鑑賞予定です。お楽しみに。

くれなゐの櫛流れゐる銀河かな 鈴木要一 「滝」12月号<滝集>

2011-12-31 00:09:46 | 日記
銀河にくれないの櫛が流れているという。「櫛」という人
を思わせる物に、東日本大震災ので亡くなられ星となった方
々の光の集まりとして「銀河」を思われたのではないのだろ
うか。私はかつて「銀漢や魚の卵の仄赤き」という句を詠ん
だ。銀河には「命」が見える気がした。「赤き」は血流のイメ
ージで「生」だった。「くれなゐ」という櫛の色は、理不尽に
奪われた命の、血に染まった櫛のようだと思い、男女を問わ
ず毎日使うものだけに殊更辛い気がした。あらためて合掌。(H)

赤き眼の舞うてゐるなり冬の川 阿部風々子 「滝」12月号<渓流集>

2011-12-27 12:55:23 | 日記
 鹿児島に転居された作者なので、冬の川の「赤き眼」は飛
来したマナヅルで、写生句と思うが、その季語の細々とした
流れが、心細さにも思え、ついこの間まで暮らしていた宮城
の事ばかりが思い出され、涙し、所在なく舞う視線とも思え
る。考え過ぎだと良いのだが、『お元気かしら?』と、メール
を送ってみたら、「季節の移ろいが曖昧な所だ。だからなのか
俳句人口が少ない」「同じ日本なのに鹿児島の言葉は理解でき
ない」など、楽しい事は一つも書いていなかった。「友達が出
来た!」と、メールが来るのを待っているのだが、今度は「火
山灰のせいか耳が痒い」そうだ。それでも、転居を決めてか
らパソコンを覚えたというガッツのある作者と聞いている。
きっと鹿児島を楽しめる日が来ると私は信じる。(H)

余白あり敬老の日と記しおく 牧野春江 「滝」12月号<渓流集>

2011-12-27 06:45:31 | 日記
 手帳を開き、すでに書き込んである「華の会」の句会の予
定意外に何もない9月の項。良い季節だというのに出掛ける
予定はなく、とりあえず第三月曜日に「敬老の日」と記した。
お孫さんが来る日として朱書きしたのかもしれません。この
余白は時間の余裕。病院に行く日ばかりが記入されているの
ではないのだからお元気なのですね。(H)

柿食へば漱石の顔子規の顔 酒井恍山 「滝」12月号<渓流集>

2011-12-25 13:59:16 | 日記
 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規」
 柿を食べなくても、柿を目にしただけで思い出す俳句から
思い出した二人の顔。俳聖と呼ばれる正岡子規と、文豪夏目
漱石は、生涯を通じての親友だったそうだ。作者が「俺の親
友は俳句」と言って、胸を張っている気がした。
 「吊し柿口中ほのと陽の甘し 酒井恍山」
 「陽の甘し」のなんと巧みなことか。常に五感を研ぎ澄まし
一句を成すときの「俳句」という親友との真剣勝負が楽しそ
うだ。(H)