「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

途切れたる戦車の轍石蕗の花 後藤外記「滝」12月号<瀑声集>

2016-12-31 05:08:35 | 日記
 戦車に戦争以外の何を思えばいいのだろう。「途切れたる」という、一時的に活動をやめることを指す言葉は、「轍」という痕跡に、過去にあったことが見えてくるということのように思う。黄色い花なのに、どこか寂しげな石蕗の花。
 憲法9条は世界に日本を脅かすような悪意ある他国が存在することは想定せずに定められたものだそうだ。しかし、改正にちらちらする戦争。庭の石蕗の花にしゃがんでそんな事を思っている作者だろうか。(博子)

秋刀魚焼く淋しがりやの男たち 栗田昌子「滝」12月号<瀑声集>

2016-12-30 04:45:51 | 日記
 「男たち」と、複数。秋刀魚祭りの焼手でしょうか。震災復興を応援する。又は、その応援に感謝する為に開催された秋刀魚祭りの焼手でしょうか。煙に涙しながら居並ぶお客さんの秋刀魚を焼いています。そんな姿を淋しがりやの男たちと表現されたのでしょう。本当は強くて優しい男達。(博子)

薄紅葉せる風蝕の出帆碑 木下あきら「滝」12月号<瀑声集>

2016-12-29 04:34:08 | 日記
 他の句から察すると石巻吟行のようです。出帆碑は「支倉六衛門常長解纜(かいらん)地碑」でしょう。「解纜」は舟のともづなを解いて出発することです。大正11年に建立された碑は海風に蝕まれていたようですが、薄紅葉する木々の明るさに、歴史を刻んだ碑の建立時の高揚が思われる。(博子)

火伏護符重ね貼りせし鮭番屋 及川源作「滝」12月号<瀑声集>

2016-12-27 04:59:35 | 日記
 重ね貼りされた火伏の護符に経た年月を思う。「津波を逃れたのだ」という事が一番に思われた。鮭番屋というから北海道だろうか。番屋は漁師たちの作業小屋を言うが、網の整備などの漁の準備を行うだけでなく、遠くの港から来た漁船の乗組員たちが入浴や洗濯をする設備、休憩や宿泊の設備を備えているところもあるそうだ。活気のある漁港が見えてくる。(博子)