「父恋」をストレートに詠んだ句。作者とお父様との思い出に入り込むことは出来ないが、「貝風鈴の鳴ればなほ」と、たくさんの思い出の中でも貝風鈴の繊細な音が特別に印象に残っていることを指していることは分かる。「美しい思い出」という言葉は抽象的で言葉としてどうなんだろうと思うが、夏の日差しに煌めいてシャラシャラと鳴る貝風鈴の音はそんな美しさで作者の中にあるのだろうと思う。(博子)
「獺祭忌」は正岡子規が獺祭書屋主人と号したことから子規の忌日季語としてあります。獺(カワウソ)が捕らえた魚を岸に並べて、まるでお祭りをするように見えるところから、詩や文章をつくる時に多くの資料を広げ散らす事をいう元々中国で生まれた言葉。円卓にはいろいろな料理が並んでいるのでしょう。その中から酢豚という誰でも知っている中国料理をチョイスして呼応を図った練達の句。(博子)
秋刀魚祭でしょうね。「絆」の文字に東日本大震災を思った。絆は本来、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱の意味だが、最近は人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになった。大震災によって、家や物も、身体も心も打ち砕かれている時に、物心両面にわたって人びとを支えてくれた言葉であったような気がする。その絆への感謝を法被の背中が大きな文字で伝えている。秋刀魚祭の賑わいに「人」。この人々は「庶民」。秋刀魚は江戸時代から今も変わらず「庶民の魚」。庶民の暮らしの平穏が感じられる句。(博子)
「鼻曲り土面」は、眉・両目・口を左上がりに表現し、鼻を強く左に曲げた珍しい顔の表情をしている土面で、見る角度によって様々な雰囲気を醸し出している土面だ。岩手県の雫石町・一戸町・二戸市。青森県の名川町・六ケ所村の五か所から一つずつしか出土しておらず国重要文化財になっている。苦痛にゆがんだ表情だから鼻が曲がっているらしい。何千年も昔には医師がいなく、まじない師のような人が、病気を治したり、出産の時、子どもが無事に生まれるように霊的な力で治療するのに使ったものではないかと言われている。栗の花との取りあわせの妙味はおそらく、花の形状ではなくて独特の匂いを詠み込んだのだろう。「鼻曲り土面」は「物」だが、「鼻」の字があってこその取り合わせだと思った。甘いような青臭いような匂いを思い出した。(博子)
コンビニには雑誌がずらりと並んでいる。単行本もあるにはあるが「ニーチェの本」とはびっくりだ。作者の脳内は空中の放電現象の大音響だったかと想像してちょっと笑ってしまった。フリードリヒ・ニーチェはドイツの哲学者だ。売れるのだろうか。パソコンを繰ると基本は売れ筋のデータを基に決めているそうです。ただ、店長自身や店員から「面白い!」と聞くと独自に入れたり、他店との差別化を計っている所もあるようです。どんな店長さんなのか会って見たいです。(博子)