「あおあおと」「冬の空」と、良く晴れた日。「抜歯」という無くなった歯の存在感が面白い。問題があって抜かれた歯であっても、無くなっては咀嚼に支障が生じるだろうに、清々しささえ感じる。凍てる体感と歯痛を過日に置いての「あとの」だろうか、冬の抜けるような青空が美しい。(博子)
鳥インフルエンザウイルスが猛威を振るった冬だった。鶏の殺処分は9県で300万羽を超え、過去最悪とのことだ。テレビに夜を徹して行われる埋却処分の様子が映る度、「全羽でなくても・・・」と思う。寒月の影が落ちる地面に埋められてゆく鶏。「粛粛」という言葉に少し救われる。(博子)
「冬の月」、そのぞくっとする美しさの前では、身じろぎすらできなくなるような気がする。三日月ともなれば、利鎌のようともいわれ、「握れば」と仮定して、血が巡り生きている自身の確認でもあるような詠みだ。寒さが厳しく、凜とした、冷たさを感じる空気感と対比させた「暖かき」でもあるがコロナ禍で生きる「触れない安心」から連想された句ではなかったかとも思った。(博子)
明朝引越し先に着くように荷物が積まれたトラックだろうか。別れの時が迫ってもいる。涙をこぼさないように見上げた空に冬銀河。周囲の明るい星々は見守る家族の存在のように輝いている。きっと明るい未来に向くお引越しなのでしょう。(博子)
反戦歌を歌っていたジョン・レノンがピストルで撃たれて亡くなった日は、開戦日と同じ日である。「夕映の波ふくらみ来」に真珠湾攻撃を思わないではいられない。夕映えの色は戦火を思わせ、ふくらむ波は実景でありながら涙でふくらんでいるようでもある。作者の胸の痛みが伝わってくる。(博子)