「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

秋の虹子規の月給四十円 中井由美子 (11月号滝集)

2010-11-30 05:57:28 | 日記
 子規の月給に興味がそそられる。自らの墓石に「月給四十
円」と刻んでいるそうだ。子規は、母と妹と三人での生活を、
何とかやりくりできる額に昇給し、勤めていた日本新聞社に
対して感謝の念を抱いていたことが、明治31年7月に碧梧桐の
兄河東可全にあてて書いた手紙から推測されるそうです。
 明治期の1円は、今のお金にすると約1万円。ちなみに、野
口英世の伝染病研究所見習助手の月俸は12円。英世の恩師の
小林先生も俸給12円でしたから、子規の月給は随分高かった
ことになります。
 暮らしは楽になったが病気は重くなっていくばかり。しか
し、その枕もとに人が絶えることはなく、亡くなる二日前ま
で俳句の勉強会が彼のまわりで開かれていたといいます。正
に、さっきまであった「秋の虹」のはかなささのように、逝
ってしまった子規が思われました。(H)

啄木鳥や男の育児立ちどうし 高橋栄子 (11月号滝集) 

2010-11-29 05:47:53 | 日記
 啄木鳥の木を打つ音が、育児に追われるせわしなさを言っ
ているように思える。
 何らかの理由でママはいなく、今日はパパが育児。その要
領の悪さが「立ちどうし」という言葉に託されていると思う。
普段、妻まかせの育児。子供達はパパに遊んでもらえること
が嬉しくて、いつもに増してはしゃいでいる。パパを取り合
って喧嘩にもなる。そんな泣いても、笑っても、かんしゃく
を起こしても可愛い我が子である。「立ちどうし」に、楽し
い疲れも感じられてほほえましい。(H)

イーゼルを置き去りにして茸採る 上遠野三恵 (11月号滝集)

2010-11-28 06:24:25 | 日記
 絵が描きたくて、紅葉のベストポイントを目差してイーゼ
ルを担いで来た山道。澄んだ空に、木々が枝をゆすっては、
色づいた葉がハラハラ舞う。
 「ここ」と決めて、イーゼルを固定しようとして体制を低
くした時に偶然見つけた茸。絵心が動き、茸に近づいて行く
と、見えていたのはほんの一部で、茸の群生に遭遇した。も
う絵などそっちのけで茸採りと相成った。
 書いていない秋の山の美しさを想像させる「イーゼル」。
そして突然茸に移る視線の動きが、少しおかしくて、心配に
なる句。茸に夢中になっているうちに方向が分からなくなっ
て山に迷った話を聞いたばかりだった。(H)

むかうでも焼酎ですか初秋刀魚 小林邦子(11月号滝集)

2010-11-27 06:18:57 | 日記
 おいしそうに焼かれた初秋刀魚がテーブルにのっている。
 「むこうでも焼酎ですか」と、有らぬ世に呼びかける作者
に、「そうだよ」と言うように掲げた、グラスの氷の音が
聞こえているのかもしれない。
 「どう、初秋刀魚おいしい?」
「うん。うまい!」
 一人だけれど一人じゃない。そんな宝石のような時間が見
えてくる。(H)

ダリの目に解体さるる秋の蝶 佐藤珱子 (11月号滝集)

2010-11-26 06:27:39 | 日記
 ダリのヘニャヘニャの時計の絵はあまりにも有名だ。と言
うより「ダリ」と書かれると、絵画に疎い私の頭にはそれし
か見えてこない。しかし、秋の蝶が、ぎょろりとしたダリの
目に、溶けるのではなく「解体さるる」という。
ますぐには飛びゆきがたし秋の蝶 阿波野青畝
である。ダリの視野に入った蝶はもう余り動かない。蝶へ向
けられた非凡な観察眼が「解体」なのだろう。
 今年の猛暑に溶けもせず、秋という季節まで命を永らえた
蝶を、ダリは溶かすことを諦めた。溶けない蝶の不思議をダ
リは解剖学者のような目で見ているのだ。時々紙縒りのよう
な髭をなでながら・・・。
 調べてみると、ダリの絵には、蝶が風車の羽根として描か
れているものなどもあるが、秋蝶の弱々しさと、ダリの眼光
の強さが印象的な句と思い、蝶の絵には触れずに鑑賞してみ
た。(H)