「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

蛇穴に入るや竹田の子守唄 菅原鬨也 「滝」12月号<飛沫抄>

2014-12-08 05:32:37 | 日記
 蛇の冬眠の「眠」に子守唄の連想は理解の範囲内ではある
がこの胸の苦しさをどう言葉にすればいいのか、私は今、晩
秋の寂しい景色の中に置き去りにされ「ねんねんや~ねんね
んや~」の声の中にいる。私が知っているのは「赤い鳥」と
いうフォークグループが歌っていた「竹田の子守唄」で、年
端も行かぬうちから子守をさせられた少女達の労働歌。哀愁
に満ちた旋律に、貧困と差別のなか、遊ぶこともかなわない
少女の本音を聞くような歌であるが、元々の歌詞は更に悲し
く、たびたび水害におそわれ、農業だけで生活することが叶
わず、男たちの主な職業は下駄直しや土工などの職工や不定
期な日雇い。女たちのほとんどは、わらじ作り、鹿の子絞り
などの労働に従事し、少女たちは家計を助けるため、遠く離
れた家に奉公に出された、食うや食わずの竹田の生活が書か
れている。♪はよもいきたやこの在所越えて/むこうに見え
るは/親のうち♪の「在所」が京都では時としてを指す
ことが理由で「放送禁止歌」になるなど、問題の根深さ
も含む詠み。蛇は場所によっては百匹単位で冬眠するとも言
われ、ここにも「○○が集まっている所」としての呼応があ
る。奉公の子の、更に辛い季節を思い描かせ、二物衝撃の句
の妙に感情移入が止まらない。(H)