行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山本玄峰老師の言葉

2011年06月10日 | 禅の心
○死んでから仏になるはいらぬこと この世のうちによき人となれ

○七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから

○不立文字とは意味を先につかんでから、言葉や文字を理解すること

○仏様からもらった心の眼はいったん開いたら潰れることはない

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青山俊董師の言葉

2011年06月07日 | 禅の心
○ 「一般世間のモノサシは、たとえばマラソンならいかに早く走るかとか、いかに能率良く仕事が出来るかというところにあるけれど、そうではない別のモノサシもあると思うのよ。兎と亀が走り競争をしたという昔話があるでしょう。亀が兎に勝ったというけれど、どんなに走っても、ふつうに走ったら亀が兎に勝てるはずがありません。兎が怠けて昼寝をしていたから、亀が勝つことが出来たのでしょ?そのことにどれだけの努力を払ったかというモノサシではかれば、ビリッコの亀が一番になり、それが仏さまのモノサシだという教えじゃないのかしら?一番二番と言う序列や結果よりも、その中味に何がもられているかということの方が大切、その過程が大切だということじゃないかしら。
ここでもう一つ考えておきたいことは、その努力の内容が、人に負けたくないと言うセリアイからの努力では駄目だということです。競争意識からだけの頑張りは、勝ったとき高慢になり、負けたとき劣等感にさいなまれて立ち上れなくなりますからね。又そういう努力のありようは長続きしません。疲れてしまいます。背比べせず、私の力なりに全力を尽くし、しかも結果は問わない、万一失敗しても悔いないという姿勢が大切なのよ。」


○禅門に「損する事を得なり」という言葉があり、沢木興道老師も晩年「得は迷い、損は悟り」と口ぐせに云っておられたが、得することしか考えない我利我利の凡夫が、少しでも無我の修行をさせて頂こうと思ったら、道にそった生き方をさせて頂こうと思ったら、つとめて損する方へ、皆の嫌がることをさせて頂こうという方へと努力するより他に、方法はないのかも知れない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする