行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

中川宋淵老師が自己を語る

2011年06月28日 | 禅の心
○本当に自分の尊さがわかれば、吾れという小さきものの欲念を捨てることができるし、三千世界をわがものとすることができるのだが。

○「君子己なき、己なければ、己ならざるもなし」これに気づけばな。

○坐禅を組んで背骨をしゃんとさせて、息を整えて数息。これも自己の生命の尊さを知るとともに、天地万物と吾と同様なりと、本来の生命に気づくためなんですよ。

○一人の人間のわれという我欲が地球全体を汚す。己の尊厳がわかればものの道理もわかる。

○師匠が言っていた。掃除するにも「汚い」と言って箒(ほうき)を使ってはならない。チリ一つだって、着物の一部ではないか。

○かたじけな
一つの塵の中にだに
四方の仏のこもらぬはなし

○宇宙の生命はチリ一つ、米一粒、紙一枚となって現成(げんじょう)している。米一粒の心がわかる心が大切だ。


【言葉を味わう】
中川宋淵老師は、「自己の尊さがわかること」と、「我(自我)」を使い分けておられますが、この「自己の尊さ」と「自我」を現代人は混同しがちです。「自己の尊さを知る」ことは、「自分がかわいい」ことではないのです。
「自己の尊さ」を曇らせてしまっているのが、「自我」なのです。


【中川宋淵老師 略歴】
1907年(明治40年)山口県岩国市に生まれる
 東京大学印度哲学科卒業
 山本玄峰老師の弟子となる。
             三島の竜沢寺住職
1984年(昭和59年)遷化


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