行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

動静にもとらわれず

2010年04月06日 | 禅の心
寂を喜み(このみ)喧を厭う者は 往々にして人を避け 以て静を求む。
意、人無きに在れば 便ち我相を成す。
心、静に着せば 便ち是れ 同根なるを知らず。
如何ぞ、人我一視、動静 両つ(ふたつ)ながら 忘るるの境界に到り得んや。
(菜根譚より)

菜根譚の著者、洪自誠は、静寂を求め、人を避けて暮らすのは、わがままだというのです。
何だかんだと言っても、人間は社会的な動物です。一人では生きていくことはできません。
現代、街に出れば、自動車の騒音をはじめとして、店に鳴り響くBGMや有線放送の音を騒がしく思う人は多いと思います。あるいは、年末年始に、親戚の子供たちが集まってきて騒ぐのをうっとうしく思うこともありましょう。
しかし、人間社会に生きている限りは、それらはある程度仕方のないことだと割り切ることも必要です。

静かさに執着し、とらわれていくのも大きな迷いなのです。

鎌倉時代の宗峰妙超(大灯国師)は、騒がしい京都の四条大橋の下で修行しました。
その時のうたが、

坐禅せば、四条五条の橋の上
 行き来の人をそのままに見て

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