行雲流水

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啐啄同時

2012年07月13日 | 道元・正法眼蔵・曹洞宗
 啐啄同時は、もともと中国の民間の言葉ですが、禅書『碧巌録』に収録されています。「啐」とは、雛が卵の殻を内側からつつくことで、「啄」は、親鳥がタイミング良く卵の殻を外側からつつく様子を表しています。禅で「啐啄同時」と言えば、弟子の修行が熟したのを高僧が見計らって、悟りの動機を与えることを言います。卵の殻は、親鳥が割るのではありません。あくまでも、雛が割るのです。
よく、教育者が、「啐啄同時」を教育にたとえますが、私は啐啄同時は、教育現場における先生と生徒の関係ではないと思っています。あくまでも、機の熟すのを待って悟りに誘うことなのです。学校教育は機の熟すのを待っておれない部分もあります。道元禅師は、中国での師匠であった如浄との啐啄同時によって、身心脱落すなはち、悟りを開いたのです。
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