行雲流水

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生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり

2021年01月15日 | 道元・正法眼蔵・曹洞宗
誰も死ぬ確率は100パーセント。誰にも平等に訪れるのが死。
死を考えるなど縁起でもないと言いますが、死について考えることにより充実した人生を送れると思うのです。仏法は死んだらそれまでというニヒリズムではありません。死は人生の一大仕事だと思うようになりました。遠藤周作の言葉に「生きざまなどという言葉はない。死に様というのが正しい」というのがありましたが、その通りだと思います。

仏教を唯物論的にとらえる人は「死んだらおしまい」と考えます。これを「断見」といいます。反対に肉体は滅んでも魂は生き続けるという考え方を「常見」といいます。私は釈尊の教えは唯物論とか観念論、断見、常見など二項対立で考えないものだと思っています。唯物論とか観念論を超えているのが釈尊の教えだと思っています。
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