行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

生きている実感

2012年08月24日 | 道元・正法眼蔵・曹洞宗
暑い日に のどを鳴らして 水を飲む。
水を飲むという当たり前の行為ですが、生きているからこそできることなのです。水を飲むという行為は、すべての生物に共通の、しかも重要な行為なのです。種田山頭火の句にも、水を飲むことをうたったものが多くあります。水を飲むという、単純で当たり前の行為の中に、自分自身の仏性を見いだすことができます。
キリスト教でも、イスラム教でも、人間が神になることはありません。「人間は本来仏なのだ。」というのが仏の教えです。
人間の行為の一つ一つが、仏の行為であるというのが道元禅師の思想でした。だからこそ、一つ一つの所作が大切なのです。

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