荀子の言葉じゃ
問うこと楛(こ)なる者には、告ぐること勿(な)かれ、告ぐること楛なる者には、問うこと勿かれ。說くこと楛なる者には、聽く勿かれ、爭氣有る者は、與(とも)に辯(べん)ずること勿かれ。故に必ず其の道に由りて至り、然る後之に接し、其の道に非ざれば則ち之を避く。故に禮恭(うやうやし)くして、而(しこう)して後與に道の方を言う可く、辭(じ)順にして、而して後與に道の理を言う可く、色從いて、而して後與に道の致を言う可し。故に未だ與に言う可らずして言う、之を傲と謂う。與に言う可くして言わず、之を隱と謂う。顔色(がんしょく)を觀ずして言う、之を瞽(こ)と謂う。故に君子は傲ならず隱ならず瞽ならず、其の身に謹んで順(したが)う。詩に曰く、匪交(あなどら)ず、匪紓(おこたら)ざるは、天子の予(あた)うる所、とは、此を之れ謂うなり。
いい加減な質問をする輩には、答えてやるな。いい加減な応対をする輩には、質問するな。いい加減な説明をする輩の話は、聞いてやるな。けんか腰でねじ伏せてやろうといきり立つ輩とは、議論するな。応対に値するのは、必ず礼の道に則って近づいた者だけであり、そうであってはじめてこの相手と接するのだ。礼の道に則らない無礼者は、避けて通れ。ゆえに礼に沿って恭しい者であって、はじめて正義正道の大筋を論ずるに値する。言葉がおだやかであって、はじめて正義正道のロジックを論ずるに値する。そして雰囲気が温和であって、はじめて正義正道の行き先を論ずるに値するのだ。ゆえに、「まだ語るべき段階でないのに言葉を発するのは、傲(言いすぎ)というものである。だが語るべき段階であるのに言葉を発しないのは、隠(いん。言い足らず)というものである。相手の雰囲気を読まずに自己中心的に言葉を発するのは、瞽というものである」という格言があるのだ
インターネットの書き込みには酷いものがあるのう。
理屈に合わないことを言って相手を罵倒しようとする人は相手にしないことじゃ。
問うこと楛(こ)なる者には、告ぐること勿(な)かれ、告ぐること楛なる者には、問うこと勿かれ。說くこと楛なる者には、聽く勿かれ、爭氣有る者は、與(とも)に辯(べん)ずること勿かれ。故に必ず其の道に由りて至り、然る後之に接し、其の道に非ざれば則ち之を避く。故に禮恭(うやうやし)くして、而(しこう)して後與に道の方を言う可く、辭(じ)順にして、而して後與に道の理を言う可く、色從いて、而して後與に道の致を言う可し。故に未だ與に言う可らずして言う、之を傲と謂う。與に言う可くして言わず、之を隱と謂う。顔色(がんしょく)を觀ずして言う、之を瞽(こ)と謂う。故に君子は傲ならず隱ならず瞽ならず、其の身に謹んで順(したが)う。詩に曰く、匪交(あなどら)ず、匪紓(おこたら)ざるは、天子の予(あた)うる所、とは、此を之れ謂うなり。
いい加減な質問をする輩には、答えてやるな。いい加減な応対をする輩には、質問するな。いい加減な説明をする輩の話は、聞いてやるな。けんか腰でねじ伏せてやろうといきり立つ輩とは、議論するな。応対に値するのは、必ず礼の道に則って近づいた者だけであり、そうであってはじめてこの相手と接するのだ。礼の道に則らない無礼者は、避けて通れ。ゆえに礼に沿って恭しい者であって、はじめて正義正道の大筋を論ずるに値する。言葉がおだやかであって、はじめて正義正道のロジックを論ずるに値する。そして雰囲気が温和であって、はじめて正義正道の行き先を論ずるに値するのだ。ゆえに、「まだ語るべき段階でないのに言葉を発するのは、傲(言いすぎ)というものである。だが語るべき段階であるのに言葉を発しないのは、隠(いん。言い足らず)というものである。相手の雰囲気を読まずに自己中心的に言葉を発するのは、瞽というものである」という格言があるのだ
インターネットの書き込みには酷いものがあるのう。
理屈に合わないことを言って相手を罵倒しようとする人は相手にしないことじゃ。