野々池周辺散策

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LORETTA LYNNで思い出した

2020-08-12 06:22:53 | オフロード車事業
 「LORETTA LYNN」
8月になって、米国のモトクロスシーンの話題はLORETTA LYNN'S を連日報道している。 ここテネシー州のLoretta Lynn で開催されている、米国のアマチュアモトクロス最大の祭典だ。しかも今年、2020年のAMAナショナル選手権の第1戦は、Loretta Lynnで開催される。コロナの影響で、ナショナル戦の第1戦は観客数5000人に制限されるとあった、2020 LORETTA LYNN NATIONAL | ONLY 5,000 FANS ALLOWED

思い出してみると、かっての大昔、Loretta Lynn には数度訪問したことがある。Ponca Cityのモトクロス レースと日にちをずらして開催されたのがLoretta Lynnのモトクロスで、ともにアマチュアモトクロスの甲子園と称され、全米各地を勝ち抜いた精鋭が最終チャンピオンを、ここで決する 。Ponca City レースがNMA主催で、Loretta Lynn はAMA主催だが、出場する選手は全米のトップアマチュアライダー達なので両レースともに出場する選手が多い。テネシー州のナッシュビル空港から Loretta Lynn 牧場に来ると、100°F超の猛烈な暑さの Ponca City に比べ、湿度が高く、道々には蝉(だと思う。それまで、ロスアンゼルス、フロリダ、テキサス、ネバダ近傍しか知らなかったので、蝉と思しき声が聞こえて嬉しかった記憶がある)が鳴いていたという記憶がある。 今回、ナショナル戦にも使用するコースだと知って、あんな単調で狭いコースでナショナル戦と思ったが、もう37,8年も過ぎたのだからコースも変わったはずと推測するものの、米国の専門ネット誌に投稿される写真やビデオを見ていると、Loretta Lynn のスタートラインやコースレイアウトの基本コースは40年弱前と何にも変っていないようにも見える。何もないくそ熱いばかりのPonca City に比べれば、大きな木が沢山あるLoretta Lynnの暑さは幾分かしのぎ易すかった。

未だ鮮明に覚えているが、ここ、Loretta Lynnのコース脇の樹々の間に、ライダー達の駐輪場、広いピットエリアがある。レースが終了し暇している時、時のTeam Green選手の一人だった、Eddie Warren の親父に誘われ、バーボンの地酒(自家製と聞いた記憶がある)を頂戴した。夕食時間に近かったので、この冷したバーボン(かなりの度数であった)が旨かったのでかなり飲んだところ、丁度晩飯の頃酔いが回ってきて、たまたま夕食に頼んだ名物のナマズ料理を食べれなかった。一緒にいた、メカの小松君に私の分も喰ってくれと、一人レストランに残してベットに転がり込んだ苦い思い出がある。この時のバーボンで不覚にも酔いつぶれ、しかも楽しみにしていたナマズ料理も喰えなかったので、Eddie Warrenの名前はずっと記憶にあった。その後、全日本選手権に外人ライダーを走らせるべく計画した際、推薦選手の中の一人に、その当時結婚しオーストラリアでレースをしていたEddie Warrenの名があったが、どんな選手かは直ぐに思い出せた。

Ponca City レースやLoretta Lynnレースは、カワサキのモトクロスビジネスが大きく飛躍するに至った、その原点の場所でもある。
当時のカワサキは、日本の先行2社に比べキッズ用のモトクロスに参入するのが遅く、アマチュア選手支援のために立ち上げたTeam Green活動は1981年に始まった。当時、ロサンゼルス近郊にあるモトクロスの聖地サドルバックパークを訪れると、ライムグリーンのバイクは1台もおらず、スズキとヤマハが大半を占め、少数だがマイコ、ブルタコ、CZ、ハスクバーナなどの欧州車も走っていた。カワサキがキッズ仕様のモトクロスに参戦しようにも誰もカワサキには見向きもしなかった時代だ。KX80が新発売され、KX80に乗ってくれるライダーを探したことがTeam Green活動の始まり。そして、カワサキTeam Green契約第1号は、忘れもしない、サム・ストアと言う選手。2番目契約選手がリチャーズ・サンズ。初めて、Ponca City レースを見たときの印象を今でも鮮明に覚えているが、ヤマハ・スズキの黄色のマシンの中に、たった一台のグリーンのマシンがぽつんとスタートラインに並んでいた。その後はご存知のように、Team Green活動は、米国のアマチュアモトクロスライダーの信頼と支持を受け、スタートラインの半分以上をカワサキのグリーンマシンが占めるに至り、多くのモトクロスライダー憧れのチームに成長した。カワサキのキッズバイクレース参戦は、兎にも角にもたった一台のサム・ストア選手から始まったのは事実。 

Ponca City レースの細かく分けられたカテゴリーには、排気量とは別にストック(無改造、量産車のまま)とモディファイド(改造)があったが、カワサキは最激戦区の80ccモディファイドクラスに、まだ市販されていない翌年型KX80の量産試作車を毎年投入した。この作戦が大ヒットした。Ponca Cityレースの1週間か10日程前、ロスアンゼルス近郊のサドルバックで、Ponca Cityに参戦する10~15才位のキッズ選手数人を招集し事前テストする。このテストは量産移行可否のテスト確認の場でもあるが、殆どがプロ選手とほぼ同等のラップで走る飛びぬけて優秀な選手達で、しかも彼らの技量に合わせ特別のセッチングをするのだから、Ponca Cityに出場する他の選手より圧倒的に早く、他の競争ライダーを簡単にラップしてしまう。当時は、モディファイドクラスにはホモロゲーションが要らなかったので、発売前の新型でも出られた。当時はモトクロッサーが毎年劇的に進化していた時代で、たとえば現行の空冷エンジンに対して来年型が水冷エンジンだったりすれば、これはもう羨望の的だった。性能的にも格段の差があったうえに、あえてストックのまま出ても他社の改造車に勝てるのに、今度のKXを買えば勝てるぞ、という明確で強烈なインパクトをPonca CityやLoretta Lynnで与えた。この作戦は大成功で、Team Green活躍が格好の宣伝となり、KXシリーズの販売台数は上昇の一途をたどったのは事実。Ponca CityやLoretta Lynnでのレース活動にはライダー育成や実戦テストといった側面もあって、すべてが好循環に回っていった時代。

しかし、それも、近年のLoretta Lynn's Ranchでのレース結果を見るに、アマチュアライダーの原点でもある排気量65ccと85ccのミニモトクロスクラスの結果表を見てビックリしている。65や85クラスは「KTM」に既に凌駕されているのだ。かろうじて、最近、65㏄や85ccに新モデルを投入した日本車も善戦しているも、総体的にみれば、モトクロスの原点クラスは「KTM」に独占されつつある。40数年以上前、モトクロスと言えばヤマハ、スズキがアマチュアクラスをも含め、その頂点にあって、多くのライダーの信頼を得ていた。そこにカワサキが、Team Green活動が”草の根活動”を通じ、先行する2社に代わって、カワサキが米国のアマチュアライダーの絶対的な信頼を得るに至り、その状態は長く続き、アメリカのモトクロスはカワサキが支え続けていると言っても過言ではない時代が長く続いた。ホンダ、スズキは米国二輪市場の落ち込みに伴い、こうした活動から全面的に撤退したと聞いてから久しい。唯一、カワサキのみが米国のモトクロスライダーを支援し続けてきた歴史がある。ところが、日本各社が二輪市場支援活動から撤退もしくは縮小した間隙の中に、米国オフロード市場に参入してきたのが、オーストリアの「KTM」社だ。その効果はてき面で、65cc、85cc市場はオレンジ色(KTMカラー)一色に変貌しつつある。こうした傾向にあることを各メデイアからの情報で既に分かっていたが、これほどまでにKTMの寡占状態に近い程に台頭しているとは思いもしなかった。この傾向はミニバイク市場だけかと言うと決してそうではなく、250cc、450ccクラスレースのトップも既に「KTM」が独占する時代へと変わりつつある。

米国でのモトクロスを筆頭とするオフロード市場は、景気に左右されにくい安定市場と言われ、昔から根強い人気がある。米国市場は、きちんとしたユーザー視点(上から目線でない)からみた支援をしていけば、全くの新参者でも受け入れてくれる懐の深い大市場であることに間違いない。今の米国は混とんとしているようにも一見見えるが、しかし本筋の所は40,50年前と何ら変わりないようにも見える。オフロード大好きアメリカの大市場は昔から何にも変わらず、それを側面支援し支えるチームが大きく変わりつつあるだけで、我々も米国の良い時代を少しだけだが経験できて面白かった。
Kawasaki "Let the Good Times Roll"
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