野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

「KX40周年を祝う有志の会」・・・その5

2013-11-22 06:30:06 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・寄稿集④」

                 「’70年代初期のUSA Motocross車開発抄録」
                                          2013年10月25日
                                          細居 久芳

       ‘71年秋、USでTrans-AM MX Seriesが開催された。欧州ではPost Season で賞金稼ぎの有力Rider達
       が大勢参戦した。Joel Rober, Roger DeCoster, Gaston Rahie, Adolf Weil, Pierre Karrsmaker, Peter
       Lumppu等々 錚々たる実力Rider が揃って来米した。当時は圧倒的に欧州Riders の力が上で、迎える
       USA Rider はBrad Lackey,Mark Blackwell等、世界的には全くの無名の若者が中心であった。
       Seriesの総合成績は、USAトップのBlackwell(後にSuzukiと契約)が16位、Lackeyが17位と記憶している。
       それでもUSではMXの人気は急上昇し、US向け2サイクルMotocrosserの開発が急務となった。
       Kawasaki Motors Corp.は72年のRider としてLackey と契約。KHIで単気筒450ccのエンジンを開発、KMC
       のR&Dで車体を設計し、US国内レースに参戦しながらKX450の開発を進めた。
                   
                                  「KX450のテスト風景」  
                           
        Prototype Machine では主にCalifornia南部のLocal Eventに参戦。規模は小さいながら、開発陣を伴っ
       た、言わば準Factory Teamということもあり、Rider の力量もあって、US国内では多くのレースで圧勝した。
       そして ’72年はLackey が500ccクラスでChampionになった。
               
                       「12月にCoto De Casaで行われたChampion 記念Party」


        いろいろ苦労話もあったが、開発に苦労は当たり前で、特筆すべきものはないが、今考えると、全く1から
       R & Dを立ち上げるのはやりがいのある苦労であった。場所を決め、人を雇い、設備を導入し、それに伴い
       また機械工や溶接工が必要となるなど、言葉の通じない中 やたらと動き回ったことはよく覚えている。
       更に、開発に絶対必要な動力計の設置も一苦労であった。予算を認めてもらい、機種選定、設置場所の工事、
       火災、騒音に対するSanta Ana市の許可取得等やることは盛沢山。最後にたった1台のDynoで全てのMCの
       出力計測をしなければならないことが大きな課題となった。計測するエンジンに合わせてベッドを作っていたの
       では、時間と金がかかりすぎる、シャシー動力計では、エンジン単体の計測が難しい、更に精度の問題もある。
       California州内のいろいろなチューニング屋等を回り、漸く車体そのものをエンジンベッドにしている例を見つけ
       、そのアイデアを戴き、改良して採用した。
                     
                                   「KMC R&D動力計」

        Episode と言えば、Indian Dunes で行われたあるLocal RaceでLackeyがKX450でスタートからフィニッシュ
       まで2速ギアーのみで走行、ぶっちぎりで優勝した。後でLackey 曰く、「今日はスタートとフィニッシュ以外
       ではClutch もSiftPedalも触らずに走った。Automatic Motorcycleに乗った気分。」
        Indian Dunesと言えば、良く我々がテストした場所で、テストの合間に自分でもよくコース走行を楽しんだ。
       ある日、比較バイクとして買ったHuskyに乗っていると、滅法早いSuzuki に何と3周で2回も抜かれた。
       Pitに行ってみると、500ccクラス世界Champion のRoger DeCoster がFactory Machine のテストをしている
       ところだった。DeCosterと一緒に走ったとは言えないだろうな、多分。
        更にIndian Dunes、亡くなった松本さんも何回かここに来られた。 運転せず、英語しゃべらず 酒も飲まずの
       松本さんとはどこへ行くのも一緒だった。毎日のように我が家で一緒に飯を食い、酒を飲まない彼の分まで飲
       んで調子が良いままに夜、氏をホテルまで送って行ったのも懐かしい思い出である。
            
                     「Indian DunesでのSnap 右は故松本さん、左は私」
コメント
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