野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

話題豊富だった「大相撲 初場所」

2013-01-28 06:22:51 | スポーツ
      「○日馬富士 対 稀勢の里● 決まり手:送り出し」

13日目、日馬富士が稀勢の里を送り出した。 立ち合いで顔を張られたが、強く当たって左へ回り込むと、そのまま相手の背後を取って、難なく勝った。
この勝負、日馬富士が勝てば優勝に大きく近ずき、稀勢の里が勝てば優勝戦線は混とんとし優勝争いが俄然面白くなる。期待してNHKを観ていたが、あっけなく勝負は決まった。
恐らく、日馬富士が立ち会い変わって激しい相撲を避けるに違いないと予想していたが、顔を張られた日馬富士は逃げて稀勢の里の後ろに回り勝負あり。
稀勢の里の立ち合いはよかった。せっかく前に出て押し込んでいたのに、無理矢理に右を差そうとした時には日馬富士は既に前におらずにバランスを崩した。
ここで稀勢の里が勝っておれば、稀勢の里にも優勝のチャンスとその次が見えたのに、あっけなし稀勢の里!

しかし、今場所の日馬富士は巧い相撲をよく取る。変わり身の速さと相撲勘は抜群で、相手に相撲を取らせない。
白鵬のようにどっしりとした相撲を取りたくても軽量日馬富士はとても出来ない。先場所の屈辱的な負け方も非難されたので、相撲のとり方を変えたのだろうか。
結局、日馬富士の全勝優勝、巧い相撲を15日間とり続けた。
それにしても、だらしない稀勢の里。体格と言い、力強さと言い、横綱としての十分な体格を持っているのに、NHK解説の千代の富士が嘆くように、取り口にスピードが無い。
もたーとしている内に、相手の相撲形に巻き込まれてしまっている。時間前によく見せた赤ら顔になるまで顔をひっぱたいて集中力をつけないと駄目だな。


★      初場所中に、元横綱「大鵬」死去の報道があった。
高度経済成長期を象徴するスターを挙げるとすれば、大鵬と長嶋茂雄・王貞治だろう。大鵬、長嶋、王は日本がもっとも活気に満ちた時代のスター中のスター。
常に冷静沈着、負けない相撲は現在に置換えると相撲の柔らかさは今の白鵬に近い。常に大鵬は完璧な相撲振りを目指していたと書いてある。
冷静沈着と見えながら、32回の優勝は猛稽古から生まれた結果だとNHK解説があった。
大鵬は巨人軍と並び評価されるのを極端に嫌がっていたと言う記事がある。
高く評価されること自体は嬉しいが、大鵬はひとりで勝ち得た勝利で、巨人軍は団体で勝ち得たものだから、自ずと違って当然だと言う。
ところで、NHKの相撲解説者北の富士が言っていたが、肋骨のすき間のない体質を“一枚あばら”と言うそうで、   
江戸時代の大横綱「雷電為右衛門」の身体がそうだったらしく、大鵬も周囲から”一枚あばら”と言われていたと解説していた。
「確かに大鵬はよく稽古をしたのだろうが、相撲にとって、なくてはならない素晴らしい体を生まれつき持っていたのだ」と言うことだろう。
力士が見せるべき闘志は、見てくれのパフォーマンスや相手を威嚇するような表情や動作ではなく、正々堂々の作法と所作の中からにじみ出すべきものだとするならば、
大鵬はまさに力士のあるべき闘志の現わし方を体現した、本当の大横綱だと思っている。
園遊会で天皇から親しく言葉を掛けられ、車椅子に座って恐縮するもにこやかな大鵬の写真は何時見ても感動ものだ。


★     「雅山」
大相撲九日目、雅山「初日」男泣きと神戸新聞に写真付きで報道されていた。
「9日目でようやく挙げた初白星へ万雷の拍手が送られた。花道を引き揚げる35歳の雅山がみるみる表情を崩した。手にしたタオルで拭っても、溢れ出る涙」とは新聞記事。
神戸新聞もいいところに目をつけ、良い表現で記事を書いたと感心し、新聞切り抜きを自分のブログに載せようと思っていた。
5時以降しか相撲を見ないので、そのNHK場面は見る事が出来なかったが、どんな理由で泣いたかた伺いしれないが、 万感胸にこみあげる物があったのだろう。
大関時代の強い雅山を知っているだけに、関脇、前頭と落ち、それでも必死に相撲を取る姿、最近は殆どが引く相撲が多くなりバタバタした感も否めなかった。
“怪物”と呼ばれた35歳の元大関、まだ幼い子供に自分の姿を見せるためにも相撲をとり続けることになるのだろうとも書いてあった。
今場所の成績は3勝12敗。 一人一人の力士にそれぞれの人生がある。

コメント
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