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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

鉄の女 マーガレット・サッチャー

2012-10-19 06:24:16 | 映画

  

DVD「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 」は面白かった。
見どころはメリル・ストリープのソックリさんだが、その演技は見事と言うほかない。顔の大写しが多い中、皺だらけの化粧の技術がすごい。年寄り独特の不随意に動く口元や 震える手など本物の年寄りとしか思えない。小さな店で牛乳パックが高いと嘆く婆さん。この婆さんが鉄の女と言われた、あのサッチャーかと一瞬目を疑った。この出だしで映画は始まる。

認知症を患ったサッチャーは、その自覚がないまま過去を回想するというパターンでストーリーが進行していく。
地方都市の食料品店に生まれ、若き日のマーガレットが夫のデニスからプロポーズを受けたとき、彼女はこんなふうに答えている。「私は他の女の子みたいに可愛らしく旦那のそばに付き従うことはできないし、一人で孤独に皿洗いにふけることもできない。ティーカップを洗いあげるだけでは死ねない」

映画の中の幾つかのセリフだけでもサッチャーがどんな政治家だったかわかるので、気になった場面をセリフと合わせて書いてみよう。議員を目指したマーガレット・ロバーツは保守党議員の言葉を真剣な眼差しで聞いている。
「政界に入るのは戦の前線にいるようなものだから」
「どこかの国の誇りを忘れた政治屋たちに、つぎのセリフを贈ろう・・「保守党の理念を再認識させてやりたい」「グレートブリテンをその名に恥じない偉大な国へ」」

男社会の国会に、食料品店の娘が乗り込んで頂点を極めるには、それ相応の試練があった。
下院議員選挙に初めて立候補して落選する25歳のころから 結婚し、やがて大臣になっていく過程での英国。労働組合は、基本的にデモやストライキをすることでしか所得拡大を計れない。そしてゴミが回収されなくなり、電車もバスも動かず、所謂「英国病」がイギリスに蔓延していた。大臣になったサッチャーは、労働組合のストによって出来たゴミの山を視察して歩く。

ちょうど、サッチャー政権誕生の前夜のできごとだったが、そこでサッチャーは下記の演説をする。
「我々保守党の目標は、人々に自由と機会を与え、可能性を開花させることだ。”皆平等”っていうふりは良くない」
「子供を励まし、より高い目標に向かわせよう。その子供たちが英国の明日を担うのだ」
「労働者を守るべく組織された組合が、労働者を働かせず、雇用を奪い、この国を弱体化させているのです」
「グレートブリテンをその名に恥じぬ偉大な国に!」
「無能極まりない今の労働党政権は誤った情報を流し、浪費を続けている。もう限界だ!」

やがて11年間も首相を務めたサッチャー物語はノンフィクションの映像もふんだんに使われ、その時代の世界情勢をみることができる。政界におけるサッチャーは、女性であるが故に風当たりが強く、自分を認めさせるために悪戦苦闘を強いられる日々が続く。彼女の主張である「自助努力・自己責任」のスローガンの下、労働運動に明け暮れる労働組合を無力化し、効率的な企業運営ができるようにしたいと考えていた。そんな中、あまりにも不甲斐なく弱腰な保守党に憤慨した彼女は、党首選に立候補することで安穏とした保守党に揺さぶりをかけ党全体の活性化を図りたいと考えた。しかし、周囲の政治家達は様々な思惑から、サッチャーを党首選に当選させるべく画策していた。発声練習やルックスなどについて指導を受けて党首選に当選、そして1979年、女性初のイギリス首相となる。

しかし、進む先には既得権益にしがみつくイギリス国民が横たわっている。
「小さい政府」を志向し、徹底した減税と支出削減を政策の柱に、規制緩和を推進する経済自由主義を信奉者だった、サッチャーは電話、ガス、空港、航空、水道などの国有企業を規制緩和で民営化し、そして法人税を値下げして、消費税を引き上げた。あわせて教育法を改革し、学校の独自性を認めず全国共通の教育システムを強制、教科書も一本化し「自虐的」人種差別や、植民地支配の歴史を改正していく。劇中にも出てくる米国のリーガン元大統領は「小さい政府」で自由経済主義を志向し成功したが、サッチャーも同志向を目指した。そんな中でのサッチャーの劇中会話。
「今の時代の問題の一つは、人々の関心は”どう感じるか”で”何を考えるか”と言うことではない。
 ”考え”とか”アイデア”こそが面白い。”考え”が”言葉”になり、その”言葉”が行動になって、”行動”が”習慣”になる。
 ”習慣”がその人の”人格”になり、その”人格”がその人の”運命”になる。”考え”が人間を創るのよ。」
「選挙で勝利したのは、この偉大な国を衰退から救うためです。
 国民は私を選んだ。英国経済を立て直してくれると信じてね。 私はそれを実現します」


そして、フォークランド紛争勃発でのセリフはこうだった。
「アルゼンチンの軍事政権の英国領土侵攻を許すことはできません」「交渉についての私の立場を明確にします。 私は犯罪者やゴロツキとの交渉には応じません。英国領であるフォークランドをとり返します。 はっきり聞かせてください。戦てる可能性はありますか」

和平協議を勧めるアメリカ国務長官との交渉時におけるサッチャー首相の発言に国務長官はぐうの音もでない。
「英国住民は少数だから政治的、経済的にも重要ではないというのですか。
 日本が真珠湾を奇襲した。1941年ですよ。あの時、米国は紳士らしく東條に和平を申し出ましたか。 ハワイの同胞を見捨てたのですか?」
「信条を貫くかどうかが問われています」
そして、「アルゼンチン軍艦を沈めて」と指示した。
紛争発生からわずか1週間程度で第1陣の艦隊を編成し出撃させたのに続いて、商船など民間船を多数徴用した国家的即応体制と危機対応能力を示した。
中でも、巨大客船「クィーン・エリザベスII世」を輸送船として徴用し、短期間のうちに所要の改造を施して実戦へ投入したことは特筆すべき点と評されている。


イギリス経済の低迷から支持率の低下に悩まされていたサッチャーは、戦争終結後「我々は決して後戻りしないのです」と力強く宣言し、支持率は73%を記録する。フォークランド紛争後、保守党はサッチャー政権誕生後2回目の総選挙で勝利し、これをきっかけにサッチャーはより急進的な経済改革の断行に向かう。この後、経済政策、いわゆる新自由経済政策が実を結び英国病から脱却、英国経済の復活が続く。「黒字、黒字、黒字」、「サッチャー景気!」 
彼女の強烈なリーダーシップが大英帝国を復活させた。
    
サッチャーは11年もの長期政権を維持し続けたが、しかし、政権の終盤期に手がけた人頭税導入計画あたりから政府要人も離れていく。これを境に、首相を辞めた。その後のサッチャーは映画の序盤に戻り、亡くなった夫と過去を回想しながら食事する場面に戻っていく。「牛乳パックが49ペンスもする。 高い!」

★サッチャーは蔓延した英国病を退治し輝かしい大英帝国を復活させ、低迷していた経済を未曾有の好景気に変換させた。サッチャーが劇中に話したセリフの、労働党を日本の政権与党に置換えて読むと、当時の英国の惨状が今の日本と酷似していることで対比できる。翻って、日本にサッチャーのような強いリーダーが出現する可能性はあるだろうか。・・それは多分無いだろうという説がある。なぜなら、日本社会は年齢で上下関係をつくらないといけないぐらい平等で、強いリーダーをきらってきたという歴史がある、との説だ。日本は欧米みたいな対外的大戦争を経験する必要がなかったので、紛争=戦争を抑制するりーダーを必要としなかったとある。


ダークナイト ライジング

2012-08-11 06:30:02 | 映画
      

映画が封切られる前の7月20日、米コロラド州デンバー郊外オーロラの映画館の外で銃乱射事件があった。
「映画館では「ダークナイト ライジング」を深夜上映中で、約300人が収容可能な館内は若者らで満員、ガスマスクを着けた男が映画館で銃を乱射し、
 子供を含む少なくとも12人が死亡、38人が負傷した。地元警察当局は24歳の白人の男の身柄を拘束した」と言う事件があったばかり。
この銃乱射事件の遠因に、「ダークナイト ライジング」があったような報道もあって、この映画にすごく興味が湧いた。

もうひとつ、予告編で見た悪役の扮装が「羊たちの沈黙」や「レッドドラゴン」に主演したアンソニー・ホプキンス演じる「レクター博士」のイメージと重なり、
そのサイコぶりや徹底した悪役で観客を恐怖のどん底に突き落とす場面を観たい、そして正義の権化バットマンとの戦いを期待していた。
加えて、前作「ダークナイト」のジョーカーが素晴らしい悪役だっただけに、その続編を否が応でも期待してしまった。


で、映画を観た印象はと言うと、前作の「ダークナイト」に比較すれば前作の方が数段上。
言うなれば、「ダークナイト ライジング」は「期待はずれ」「拍子抜け」の映画だった。


「ダークナイト ライジング」でバットマンに対峙する悪役ベインはジョーカーを観てしまった後だと比較にならないほど霞んでしまう。
どうしてもジョーカーと比べてしまうが、ベインという悪役をジョーカー以上の完全無欠の悪役として最後まで描き切っていない。
描くならば最後まで彼には最強の悪で居て欲しかった。 「羊たちの沈黙」の「レクター博士」のように、バットマンの心の奥底にある心理を洞察し、
それ洞察力を武器にしてバットマンを恐怖のどん底に落とす。どん底に落とし込む手段が見ている観客にも恐怖心を持たせてしまう、これを観たかった。

処が、そのベインもあっさりと倒されてしまった。これにはベインの圧倒的存在感に凄みを感じつつあっただけに「えーっ」と落胆してしまう。
そして、彼の崇高かつ骨太なベインの志は単に一人の女性に向けられたものだったと描かれてしまうと、「なーんだ」となる。

テロ集団を率いた親分はベインだが、テロ集団の明確な意図、あるいはテロ集団の行動に対する恐怖感に何も感じられず、ただ私的復讐劇で多くの市民を抹殺するだけ。
しかも、テロ集団の実質的な親分はベインが守り続けた女性で、その女性の私的な復讐劇(テロ)をバットマンが死を持って最終的に防いだだけのこと。
映画を観終わると「エーこれだけ」と言う思いがこみあがってきた。


●あらすじ:
ゴッサム・シティを襲撃したジョーカーを倒した後、トゥーフェイスことハービー・デント検事殺害の罪をかぶり、街を離れたブルース・ウェイン。
その8年後、再びゴッサム・シティに戻ってきた彼は、街の破壊をもくろむ新たな強敵ベイン前に、バットマンとして対峙する。


●前作「ダークナイト」の面白さは群を抜いていた。つまり、バットマンとジョーカーの設定が的を得ていた。
前作のブログコメントから。
「バットマンが犯罪を摘発すればするほど、マフィアの犯罪は凶悪化し、ついにはマフィアにすら忌み嫌われていたジョーカーを雇い、そのジョーカーは毎日市民を殺す。
 バットマンは手段を選ばずマフィアを追い詰め、マフィアはバットマンに徹底的に追われるから、バットマンを殺そうとジョーカーを雇う。
 ジョーカーはそれをいいことに、市民を巻き添えにして殺人ショーを展開する。」

「バットマンを、世界最強の国、世界の警察を自負しているアメリカに置き換えてみると、アメリカが基本的に持っている彼らの行動の正当性を垣間見ることができる。
 バットマン対ジョーカーは、アメリカ対「悪の枢軸」や「悪のテロ組織」に簡単に置き換えることができた。
 果たして、アメリカはその巨大な軍事力をもって、力ずくでテロ組織を壊滅させることができるだろうか。
 アメリカがテロ組織によって疲弊させられている様を、ただ冷笑的に見ていればいいという話でもない。」

「ダークナイト」の中で最もググッとくる場面とセリフは、繰り返しになるがこうだ。
『映画の中で、ジョーカーがバットマンに向かって哄笑しながら、「俺もお前も世間から見れば化け物じゃないか」と繰りかえし、
 バットマンが勝手に私設自警員として、奇怪な覆面衣装に身を固め、法律を無視して正義の味方を気取る矛盾を突いてくる。
 そして悩むバットマンをあざ笑いながら、「お前が正体を晒すまで、俺は毎日、市民を一人ずつ殺していくぞ」と言って、本当に罪のない市民を殺し始める』

何故か、世界の警察を自任する米国と米国の言う悪の枢軸との、どちらの正義に理があるかの奪い合いを見ているようだった。
それが最高に面白かった。


       「ジョーカー」



外事警察 その男に騙されるな

2012-06-14 06:34:11 | 映画
 「外事警察」

久し振りに映画を見に行った。
「外事警察」、NHK放送も結構面白かったが、暗い画面で言葉も聞き取り難く、ジーッとテレビを凝視せざるを得ない設定だったので、
全部理解出来難かったが、妙に印象に残っていた。 で、映画が出ると聞いて早速見に行った。
ワーナーマイカル明石の#6映写室、ここは初めてだ。  狭い!  後から二番目の席にしたが、スクリーンに近過ぎたので一番後席と交換しに行ったけど不可。
だけど、映画の方は画面も言葉も鮮明でテレビより断然理解し易かったし、こんな映画は大好きだ。

いわゆるスパイアクションや刑事ドラマと違って、思惑あっての正義感無しのストーリーも現実的で良い。
「相棒」や「黒田康作」では、主人公のスーパーヒーローが正義感を持って論理的に事件を解決していく筋道が痛快で面白かった。
一方、「外事警察」は”公安の魔物”住本を中心に、アウトローな存在で事件を一方的に処理してしまう設定だが、結構面白い。
人間心理のリアルさを武器に、日本でもこんな事が本当に起こっているはずと、この世界の日常の裏側を上手に説得力をもって描写されている。


「警視庁公安部」は、国の行政機関である警察庁警備局の実質的指揮下にある、一種の「情報機関」としてWikipediaには解説されている。
本作品のタイトルにある「外事」警察は、右翼や左翼といった国内問題を担当する「公安」警察に対して、防諜や国際テロリズムの調査を行う部署。


本作の主人公である住本健司は、国益を守る為なら平然と嘘をつき、民間人の弱みを握って恫喝し、危険に晒すことすら厭わない。
彼によって、外事警察の協力者に仕立て上げられ、夫をスパイする事になる薄幸のヒロインに加え、
1985年、祖国を原子力の光で照らすという夢を抱いて日本を去った在日二世の核科学者の3組を中心に、
濃縮ウランと起爆装置をテロ組織に販売しようと目論む組織と、韓国で製造されていると言う理由で韓国の国家情報院もこれに絡んで展開する。

韓国と敵対する某国(北朝鮮か)からウランが盗まれ、そして日本の大学から核爆弾の小型化を可能とするレーザー起爆装置に関するHDが盗まれる。
在日二世の核科学者に濃縮ウランと起爆装置を組立させたが、肝心の起爆ボタンがない。その起爆ボタンを取引に使っての展開が中盤にやってくる。
東京とソウルを行き来しながら、諜報のプロフェッショナルたちがウランと起爆装置を奪い合う展開は面白い。
そして、起爆装置は始動し、核爆発に至る時間が設定されたが、誰も起爆装置を解除できない。
でも最後には誰が解除入力をインプットしたか分からないままに、起動ボタンは解除され、ソウルは火の海になる直前で救われる。
(住本が解除したように表現されているが、科学者の正義で解除を初期設定していた可能性もあり、いずれにしても解除された)
インテリジェンス物として、なかなかに良く出来た作品である。

それにしても、韓国国家情報院のスパイから、日本人が解決できる代物ではないから早く手を引き韓国国家情報院に任せろと迫られる場面があった。
これは、現実の世界では、その通りなのかもしれない。



★スパイにとって無法地帯である日本(スパイ防止法がない)で、色んな形の諜報活動が行われているのは疑いようがない。
 何時だったか、BSフジプライムニュースでの平沢議員の発言「北朝鮮の最も質も高いスパイは韓国の諜報活動に従事し、
 最も質の低い諜報員が日本に派遣されている。」が、スパイ天国日本を如実に示している。
 そして、いとも簡単に各種の諜報活動が、この映画のように人知れず日本を舞台に実行されているのかもしれない。


★佐藤 優の「国家の謀略」という本をかなり以前に読んだ。
 その頃、インテリジェンスの考え方や思想らしきものが賑やかだったこともあり、購入して読んでいた。
 改めて、今少しづつ読んでいるが、結構面白く、読み易い。

 謀略と言えば、全く場違いの感覚で、違う世界のことと一般的に捉えられているが、国家としてみると最も重要な要件だと思う。
 民主党政権になって、いかにも心許ない外交であるが、もともと日本は世界最高水準のインテリジェンス能力を備えていたとある。

 「今や後藤田のこの問題意識は、日本の将来を真面目に考える人ならば思想の左右を問わず共通している。
  日本国家が生き残るためには情報力を強化する必要あると言う事は誰でもわかっている。
  ・・・ 日本人はもともと情報力に長けている。・・・極端に強い国家は情報がなくとも戦いに勝つことができる。
  日本人は戦後長らくインテリジェンスへの誤解・無知に侵されて来たと言ってよい。
  ・・・しかし、国家スタンダードで謀略なきインテリジェンスなどないという概念はそもそも存在しない」


★BSフジ「三国」は何故面白く、私の興味を引きつけているかを以前のブログで説明した。
 面白い理由をこう書いた。
 「官渡の戦い・・曹操軍7万が袁紹軍70余万の兵を打ち破り、曹操の地位を確保した中国歴史上でも超有名な戦い。
 古今より圧倒的兵力こそが勝利の第一法則と言われてきた戦法だが、曹操軍の10倍にも優る敵を如何にして打破し曹操は勝ったか。
 軍事戦略と政治・外交戦略を駆使し、さらに権謀術数に長けた策をふるに活用して勝った。

 そして、それを中国の現代軍事戦略思想と比べると、類似点があると書いた。
 「中国の伝統的な軍事思想では、「孫子」など優れた兵法書があり、その「不戦而勝(戦わずして勝つ)」の思想は現代軍事戦略の底流にも生きており、
 それは「漢民族の苦手な武力戦を避けて謀略や政治・心理戦によって戦わずして戦争目的を達成しようとする思想」であり、
 たとえ戦争になったとしても「武力戦は最小限にし、努めて「遠交近攻」など外交戦による解決」を追求する思想である。
 同時に、中国では「戦争は政治目的達成の道具あるいは手段であり、軍事戦略は政治の要求に応じて変化し、政治戦略に従属しなければならない」とする見方が根強い。

 これら政戦両略における武略(軍事戦略)に対する政略(政治・外交戦略)優位の思想、さらに権謀術数に長けた民族性も加わり、
 孫子が「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり」「上兵は謀を伐つ」と述べた如く、「目的達成のために軍事戦略よりも政治戦略を優先すべし」とする戦略文化が
 中国の軍事戦略の根底に流 れ継承されているのである。・・・・・(以下略)

 そして、「情報・謀略などのソフト戦力を活用するなどを底流に残しながら、時代の要請によって柔軟に変化を遂げる」だろう」
 (中国の軍事戦略の底流にある思想・文化:―現代軍事戦略の形成過程の分析から― 茅原 郁生)

 この現代中国軍事戦略思想分析は、三国志にみる曹操の軍事戦略と似通ったものではなかろうか。



これ等の資料を少しでもかじり、予備知識をもって「外事警察」を見ると非常に面白い。
何故なら、現実に発生している可能性が高い事件であって、その対処法の一つだからだ。
いざ戦争と言う究極の国家間の争いでなく、相手を不利に導き、最終的に勝利を収める。
戦わなくとも、相手を混乱させ続ける方法は、レースの世界でも経験してきたことで不思議なことでもない。




『あらすじ』
 警視庁外事四課に所属し、手段を選ばない非情さから「公安の魔物」と呼ばれていた住本警部補(渡部篤郎)は警察を追われ、
 今は公安警察官であった父の同僚だった内閣情報調査官の有賀(石橋凌)に匿われて、内閣情報調査室(CIRO)へ出向している。
 その住本は単身、ソウルで在日2世の核物理学者・徐昌義(田中泯)を探していた。
 徐は約30年前、日本の原子炉技術を祖国へ持ち出し、今は韓国に潜伏中。
 その徐を探し出し、住本は朝鮮半島から流出したウランと、震災後の混乱に乗じて日本の大学から盗み出された軍事技術の行方を追うために外事4課へ復帰、
 “住本班”のメンバーを集めて捜査を開始する。


最近見たDVD その2: 3:10 to Yuma

2012-03-15 06:37:02 | 映画
「牧場経営者ダン・エヴァンスと無法者ベン・ウェイド」

この映画は面白い。
もともと西部劇自体は好きな映画なんだが、「3:10 to Yuma」は久し振りに見た面白い西部劇だった。
「L.A.コンフィデンシャル」の味のあるラッセル・クロウを期待してDVDを借りたが、期待通り。

ストーリー:
「南北戦争が終わってまだ間もないアリゾナ。北軍の一員として従軍し、片足を失って退役した牧場経営者ダン・エヴァンス。
 彼の牧場は、その土地に鉄道を敷きたいと思う町の有力者によって様々な嫌がらせを受け、借金してしまった。
 ひょんな縁から、ダンは駅馬車強盗で捕まった無法者ベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)を駅のあるコンテンションの町まで護送する役を買って出た。
 その報酬で借金が返済できるのだ。
 コンテンションから明後日の「ユマ行き3時10分発」の列車にベン・ウェイドを乗せなくてはならない。
 しかし、ベン・ウェイドの仲間が彼を奪い返そうと執拗に追ってくる。
 道中で何人も犠牲者を出しつつも、ダンは何とかベン・ウェイドを連れてコンテンションの町に到着する。

 だが護送団のメンバーを次々と失い、追ってきたベンの手下たちに、コンテンションのホテルに追いつめられる。
 しかも、強盗団の副頭目が護送団に懸賞金をかけ群衆を扇動したので、町中のならず者たちがダン達を殺そうとする。
 「報酬は払うから逃げろ」、と説得する護送団の鉄道会社の役員にもダンは首を縦に振らず、ベン・ウェイドを列車に乗せようとする。
 それには理由があった。
 ダンの思いを悟ったべン・ウェイドはダンを射殺した仲間全員を逆に撃ち殺し、自ら護送列車に乗る。
 そして、その一部始終を目撃したダンの息子。
 列車が走りだして間もなくベンが口笛を吹くと、死角にいた彼の愛馬が列車に近づく」

昔の西部劇を観た時に感じる印象と似ていて、人間ドラマが中心であり、それを盛り上げるための銃撃戦がある。
また、この映画は面白いだけでなく、南部アメリカに広がるデザートの中で、ブッシュから見る映像の場面も美しく撮れていて素晴らしい。


興味をそそった場面:

 ★悪党ベン・ウェイドを狂信的に崇拝する強盗団の副頭目は、一行が籠もるホテルを包囲、更にダンたちを殺害した者に報奨金を出すと群衆を扇動してまでベンを奪い返そうとする。
  そこまでにベン・ウェイドを慕う仲間を、ダンを撃った仲間のはずの面々をウェイドが撃ち殺していく場面。
  強盗団仲間はベン・ウェイドの事を信頼していて、必死に助けに行こうとしていたのに、最後は逆にベン・ウェイドに無残に撃ち殺される。

 ★途中から勝手にやってきたダンの息子、一緒に残ると言う彼にダンが別れを告げる場面。そしてベン・ウェイドを列車に乗せる役目を最後までやり遂げて撃たれたダンは死に際、
  詰め寄ってきた息子に「町に帰って、この事を皆に報告しろ。立派に成長したな。お前は俺の誇りだ」と告げる。

 ★残虐性と寛容さ、正確な射撃の腕前と深い教養という相反する要素を併せ持つ男ベン・ウェイドは、幼年の頃捨てた母親を待つ間に聖書を完読し教養を身に付けた。
  暇さえあれば絵を描いている場面。


3:10 to Yuma - Trailer


最近見たDVD その1: コンテイジョン

2012-03-13 06:36:32 | 映画
 「コンテイジョン」

「コンテイジョン」
マット・デイモン主演とあったので、DVDを借りてきた。

ストーリー:
「咳と発熱の症状で東京を始め世界各地で死者が続出し、米国でも、ミッチ(マット・デイモン)の妻・ベスが香港から帰宅した二日後、 原因不明の咳と発熱で自宅で息を引き取り、息子クラークも同様な症状で死亡。 一方、東京の死亡事件をネット情報でみたフリージャーナリストは、政府が世界規模に拡大しつつある伝染病を隠しているのでは無いかと、 ブログで世界発信し、世界中の閲覧者の支持を得てくると、レンギョウがこの感染症の特効薬だというデマをながし、人々をパニックに落とし入れ金儲けを目論む。 一方、カリフォルニア大学の医師が、病原の新種ウィルスを解明し、WHOは世界大流行を宣言。 ワクチン開発が急がれるが、ウィルスの突然変異に追いつかず、感染はどんどん進んでいく。
 結局、ウイルス学者が偶然発見したワクチンを自分に注射して、世界的事件は解決していく」

マット・デイモンの活躍を期待してDVDを借りてきたが、全体的に中途半端な映画で、期待外れだった。
冒頭から数十分間の間は、急速に感染が拡大し、感染を恐れて買い溜めや強奪する人、ネットで騒ぎながら一攫千金を狙うフリー記者、これらは輪場感があって引き付けられ、マット・デイモンの活躍がこれから始まるのだと期待して観ていた。だが、感染経路の捜査や、感染源に辿り着く場面までには緊迫感が全く伝わらないし、ワクチンが偶然発見されると、途端にトーンダウンしてしまい、結局、「あれ、これで映画は終わりか?」と肩透かしを喰らった。大物俳優マット・デイモンの役割は何だったの?

最後の場面は、ジャングルで、バナナを餌にしたコウモリから落ちてきた糞を食べた子豚が中華料理店に売られ、料理長は子豚料理の途中、
血の付いた手をエプロンで拭きながら、挨拶にきたミッチ(マット・デイモン)の妻・ベスと握手した。これが世界中にウイルスが伝染する一日目。そして、映画の冒頭に戻る・・・。奇しくも、豚舎に飛来してきたコウモリは製薬会社の研究敷地に栽培されているバナナを食べた。新種のウイルスを退治するワクチンが世界に無い中、利益追求の製薬会社が裏で繋がっているかのようなエンディングだったが、なんだか物足りない。

あえて、一番面白い場面ではと期待していたのに、当て外れだった事と言えば、東京情報をネットでみたフリージャーナリストは、自らのブログでレンギョウがこの感染症の特効薬だというデマを流し、人々をパニックに落とし入れたA級戦犯。ウイルスとか放射能のような目に見えないパニック恐怖の伝播は、ネットよって一瞬に世界中に流れ、パニックはパニックを呼び込み、限りなく悪い方向転がる。さー、これからどうなるんだと期待したが、ところが裏取りに乗ったジャーナリストはあっけなく逮捕。
な~んだ。

例えば、こんなことを期待していた。
デマがデマを呼び混乱を助長する、この場面が最も面白く演出できる所なので、例えば、テロ組織がパニックを更に引き起こし、信じた市民が国会や最高指導者の暗殺をも目論見、国家転覆一歩まで迫る。テロ組織と裏で繋がっていた、製薬会社は特効薬でぼろ儲けする。この組織を嗅ぎつけたマット・デーモンが国家の援助が得られない状況下で、悪の首謀者をやっつける。こんな場面が見たかったな。これが、危機の現実に遭遇した場合のリーダーに求められる資質だから。

**************:

それにしても、日本での原発による風評被害はすさまじい。
戦時中の長崎への原子爆弾投下被害を調査している長崎大学の「被爆者医療センターの福島原発に関するQ&A」には放射能に関するリスクが回答してある。  また、別の報告では、癌死亡率は100mSv以下では統計的に検出できないほど小さく、受動喫煙と同じぐらいで、放射線のリスクは喫煙よりはるかに小さいという報告もあって、放射能の危険性度合いは有る程度把握されている。が、それよりも遥かに小さい放射能レベルの瓦礫を受け入れる地域や団体が少ないとメディアが報道する。「あの日を忘れてはいけない・・・」とマスコミに言われなくとも、昨年の大地震と大津波を忘れてる人など誰もいない。それよりも、被災地そっちのけで「放射能だ!」と大騒ぎして、スーパーの食料品棚を空っぽにしたり、放射能はうつると発言する大臣の方が深刻で、これが現実の姿。

ウォールストリートジャーナルの記事にある、「原発の真の危険性」は客観的にみた真の危険性を指摘している点で参考になる。


Erin Brockovich (エリン・ブロコビッチ)

2012-03-07 06:30:38 | 映画
 「Erin Brockovich」

ジュリア・ロバーツは好きな女優だ。
ジュリア・ロバーツは「Erin Brockovich」で初めてのアカデミー主演女優賞を獲得し、ゴールデングローブ女優賞も受賞した。先日、BSで放映していたが、見たのはこれで3回目。何時見ても新鮮で面白い。映画のストーリも旨く構成されていたし、加えてジュリア・ロバーツの伸び伸びとした演技は爽快感があって素晴らしい。

映画は真実かとの質問を度々受けた Erin Brockovich 本人は、彼女の公式サイト「 Website of Erin Brockovich」に、映画のストーリーは98%が真実と書いている。
「The Movie Universal Studios made a film titled、 "Erin Brockovich", which stars Julia Roberts。
  Julia won an Academy Award for her portrayal of me。
  People ask me all the time、 is the movie true and accurate?  YES、 the movie was true and probably 98% accurate。
  They took very few creative licenses」

「幼い子3人を抱えて無職のシングルマザー・エリンは、極貧の生活。
 なんとか仕事を探そうにも、学歴がないのでロクな仕事が無い。
 法律事務所に押し掛けて働くうち、何気なく見たファイルからある地域の調査を開始する。
 それはやがて巨大企業の起こしている深刻な水質汚染の実態を暴く事になる。
 直感を信じて調べだし、大手企業の工場が発がん性物質を垂れ流している事実を突き止める。
 被害住民634人の思いを丁寧にくみ取り、アメリカ史上最高額の和解金3億3300万ドルを勝ち取る。
 礼節欠け、汚い言葉使いで、服装は露出過多、しかし原告住民からは他のどの弁護士よりも慕われた」、が映画のストーリー。

映画「エリン・ブロコビッチ」でのエリンは、見た目も性格も派手な女性だが、訴訟に勝つために採った手法はとても地道な努力。弁護士でもなく企業の回し物でもない彼女はただ「泣き寝入りだなんておかしい」という一念の元に、水質汚染地域の人々が訴訟に加わるように説得して回った。敏腕なわけでも何でもなく、一人の人間として頑張った結果が幸いにも貴重な資料を掴むまでになった。訴訟や裁判を取り扱った映画はアメリカ社会に広く人気があるが、手法の希有な事例として、この映画はアメリカの訴訟実例をみる上で参考となる。

「Erin Brockovich」の映画を何度見ても、私が飽きない理由は他にもある。
★昔、開発担当時に二回ほどアメリカの訴訟案件に関与したこと、そして品証担当時にも若干の訴訟事案を経験することになったこと。アメリカの訴訟事例を随分と勉強したし、法務担当と綿密な打ち合わせをしながら、現地弁護士の考え方にも接する機会を得た。 その経験をベースに「Erin Brockovich」の映画を観ると訴訟の流れが分かり易く、作り話ではないと容易に理解できる。

 開発当時の訴訟案件は、担当した機種で事故を起こした運転者が怪我を負ったと訴えたものだったが、デポジション(Deposition)を受けることになった。 トライアル (裁判)になる前の、事務所内で行われたデポジション、つまりトライアルに備えて法廷外で行われる証言録取のことだが、 法廷での証人尋問と同じように、弁護士が立ち会い、証言を記録されるし、ビデオなどにも録画される場合もある。

 訴訟となった場合、デポジションにかなりの時間が費やされることになるが、当方の正当性を証明するための筋書きに相当の準備と周到な質問が求めらる。 このデポジションはアメリカの訴訟事例の一端を経験するうえで、非常に勉強になった。 結局、担当した二案とも相手側が取り下げたので、結局トライアルまで行くことは無かった。

 つまり、当方の設計思想の正しさは認められたわけだが、 この経験は設計・開発上の技術的理論を開発リーダーは常に認識しておく重要性を再確認することにもなった。 往々にして、設計者は自己の設計に自信過剰となりがちで、相手側弁護士の術中にはまり易い傾向にあるようだが、我慢の必要性をも学んだ。 全く欠陥のない製品などあり得ないから、製品開発を通じて可能な限りの策を採って量産化したこと、 購入して頂いた顧客が安全に使用すべきマニュアルの整備も不可欠。 これでも実際、事故発生を完全に防止することは出来ないので、事故発生時の対応も十二分に心得ておくべきだろう。

★アメリカを象徴する表現として、法の国とか訴訟国家などという言葉がよく使われるほど、訴訟案件が非常に多く社会問題となった時期があった。
 アメリカではちょっとした事故で怪我を負うと、自己の責任はさておき相手を訴えて訴訟に持ち込む事案が多い。例えば、サドルバックパークというカリフォルニアのオフロードライダーにとっては聖地とも呼べる広大なオフロードコースがサンタアナの近くにあった。
当時、モトクロスマシンを一台乗せたピックアップトラックでサドルバックに行き、 一日中ライディングするのがアメリカ人の楽しみの一つでもあったのだが、 トラックに積載したモトクロスマシンの色で、売れるマシンの人気度尺度にもなっていた。
 だが、訴訟ブームの時期、訴訟事案が増加して結局閉鎖に追い込まれ、多くのユーザーが終日楽しめる場所を無くすと言う残念な結果に至った。 一握りのユーザーが多くのアメリカ市民の楽しみを奪ってしまった悪例だと思うが、これはほんの一例に過ぎない。

★弁護士の数と州による法律の違いもあって、アメリカの弁護士数約100万人が有資格者として登録されている反面、日本では僅かの2万人。アメリカの人口が日本に比べて2倍いるとしても、この数の差は歴然で、弁護士の数からも、アメリカが訴訟国家であることが分かる。この数の多さが、訴訟案件を増やしている大きな要因だとも言われており、つまり、弁護士が食うために訴訟案件を増加させている。加えて、アメリカは陪審員制度があって、陪審員が訴訟の評決権をもっているので、弁護士の技量が評決に大きく影響する。 結果的に、訴訟に勝つと高い弁護士料を獲得できることもあって、訴訟事案は一向に減少しない。

訴訟事案は人間模様が顕著に出てくるので、一評論家として側面から観察すると非常に興味をそそるものがある。
エリン・ブロコビッチは辛苦をなめた地道な捜査が幸運をもたらした珍しい事例だが、実際はそう簡単ではない。
日本でも採用された陪審員制度、その原型となったアメリカの訴訟制度、次の機会があれば紹介したい。 




ミッション・インポッシブル / ゴースト・プロトコル

2011-12-28 06:30:57 | 映画
「砂嵐の中のイーサン・ハント」

「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」を大久保のワーナーマイカルに見に行った。ミッション・インポッシブルは面白いので毎回見ている。「スパイ大作戦」がテレビで放映された時期からのファンであるが、あのテーマ曲が流れると妙にワクワクするように仕組まれているのだろうか。このシリーズは毎回、監督を代えながらも、スパイ・アクション映画として成功を収めているが、2作目を担当したジョン・ウー監督のが、今までの中でベストだと思っている。

さて、第4作目はどうだろう。
トム・クルーズがドバイの超高層タワーから落下するアクションをスタントなしで行ったことが話題の本作。確かにあのシーンはすごい、世界一の超高層ビルから飛び降りるのは、自殺に近い行為、相当怖いはずだが、スタントなしで本人が行ったそうだ。見ている我々の方が、先に足がすくんでしまった・・・この場面は確かにハラハラドキドキした。ドバイには現在で世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリーファ」があり、ここでのクライミング場面は大迫力だった。

不自然な現象だと思ったが本当に発生するらしい。
ドバイが砂嵐に見舞われ市街地が一面に砂で覆われGPSを頼りに相手を探すシーンだが、映画「ハムナプトラ」に出てきた飛行機さえも飲み込む砂嵐が海に面して造成されたドバイ市街を飲むことが、本当に気象上で発生し得るのか不自然に思えたので、調べたらが本当だった。ドバイには飛行機の乗り換えで2度程空港に降りたが、飛行機からみる夜のドバイ市街が真に奇麗だったので、猛烈に強烈な砂嵐が吹くような場所を選んで商売上手のアラビヤ人が高層ビルを建てるのかなーと思った次第。

「スパイ大作戦」で展開される場所は空想の世界ではなく現実の世界の中、そこで一秒を争う展開のハラハラドキドキ感を楽しむことだと思っていたので、この場面は何故か不自然な場面に思えたが本当だった・・・。

つまらなかったシーン。
核弾頭を積んだロシアのミサイルロケットがサンフランシスコのビルに命中するのを阻止する事がイーサン・ハントの役割である。イーサンが核弾頭の起爆装置を切断した後、ミサイルロケットはビルの側面に接触して落下するシーンがあるが、これが如何にも漫画ぽくって頂けない。あれだけ苦労して起爆装置を切断したのだからもっと派手に海中に落ちる方法もあったような気がしただけに、あっけないシーンでつまらなかった。

これを除けば、面白い映画だ。
テレビのスパイ大作戦のファンだったこともあり、スパイ大作戦のテーマ曲が流れると何かが起こることを期待してしまう。今回も、畳みかけるアクションシーンの数々は工夫が凝らされ、まったく飽きずに楽しむことができる。そして、イーサン・ハントの活躍の場となるのは、ロシアの首都モスクワ、インド最大の都市ムンバイ、アラブ首長国連邦のドバイである。所謂BRICSのうち、前作の中国に続いて今度はロシアとインドを舞台にしている。世界市場を望む映画とすればを睨めば当然の選択だろう。
 
テレビの「スパイ大作戦」では、メンバー各人は得意技を持つ専門家ではあるものの、当局からの支援が一切ない中で、孤立無援のメンバー達がチームワークだけを頼りに難題を解決するのが「スパイ大作戦」の良さでもあった。前作までのイーサン・ハントは、イーサン個人の活躍に重きを置きすぎて、チームメンバー全員の活躍が見えなかったが、今回は、テレビ同様に徹頭徹尾ひとつのチームを大切にし、メンバーを信頼するという設定であった。

「スパイ大作戦」はチームメンバー各人の持ち場で秒単位に正確に動く事のみでなし得る作戦が組まれ、そこに何かの拍子に少しのズレが発生する。その秒単位の緊迫した中でのメンバーの知恵と活躍にハラハラドキドキしたものだった。今回の作品には、それが出ていた。もう一つ挙げるとすれば、東京モータショーに出展された「BMW i8」が劇中車としても登場している。「ミッション・インポッシブル」の過去の作品にも優れた最新の二輪や四輪が登場し、例えばドガッティの最新モデルは重要な役割で登場した。「BMW i8」のデザインは如何にもイタリアの二輪デザイナーがデザインしたような斬新なモデルで興味深い。
次世代二輪のデザインもこの方向かな。

参考:
   「砂嵐にかすむドバイのビル群」・・Wikipedia
 

最近見たDVD映画

2011-12-22 06:29:48 | 映画
ここ数日、近くにある「ゲオ」からDVDを借りてきた。
マット・デーモン主演映画2作品と「パイレーツ・オブ・カビリアン」を一挙に見た。
マット・デーモンはお気に入りの俳優で、「オーシャンズ11」も良かったし、
「ボーン・アイデンティティー」や「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3作品は最高に面白かった。
次に観た「グリーン・ゾーン」も良かったが、最後の纏めが今一つだという印象がある。
マット・デーモンは、興収ランキングでトム・ハンクスやトム・クルーズの2倍以上の高収益俳優としてトップに輝い年もあり、
「ピープル」誌が選ぶ2007年の“最もセクシーな男”に輝いた、如何にもアメリカ人好みの好感の持てる素晴らしい俳優と思っている。

で、借りてきたDVDの2作品は「ヒア アフター」と「アジャストメント」。
両方のDVD映画を見て、正直失望してしまった。

マット・デイモンが主演することのデメリットが出た映画だと思う。
マット・デイモンはアクション俳優との印象が強すぎているので、ズバリ、映画について先入観を持って期待して見てしまった。
どんな陰謀とも闘うアクション物なんだと期待してズート最後までみたが、意外やうじうじした映画だ。
運命の女性との出会いにこだわった・・・何の意味があるのか、なんとも印象の悪い映画。

「ヒアアフター」は「アジャストメント」以上に印象が悪かった。

あえて言えば、こん作品にマット・デイモンを主演に迎えたデメリットつまり期待感への裏切りがあった。
2作品とも面白くなかった。

 
「パイレーツ・オブ・カビリアン -生命の泉」



「パイレーツ・オブ・カビリアン」は第一作目から観ているが、ディズニーの海賊映画はいつ見ても痛快で面白い。
観客をあっとビックリさせるような仕掛けが何処かしこに隠されているので、最後まで息をつく暇もない。
ディズニー映画史上最大のヒットシリーズなったのは頷ける。

前作までは、ジャック・スパロウを取り巻く登場人物の多彩さとその個性が圧倒的に強烈だったので、どの場面もハラハラドキドキがこれでもかと続いた。

さて、今回の「生命の泉」は前作に比較すれば、やや気合が感じられない。
善人になった色の白いバルボッサは頼りないし、黒ひげ船長にも悪玉をそれほど感じない。
そして、バルボッサ&英国海軍チーム、スパロウ&アンジェリカ&黒ひげ船長の海賊チームにスペインチームが無理やり出てきて、
永遠の「生命の泉」を求めて分獲り合戦をするというのが基本的な構図だが、徹底した悪役が徹底的にスリルを呼び込む場面が観られない。

通常なら各人の利害関係には建前と本音があり、それが入り組んで裏切りや二転三転を繰り返すパターンがワクワクドキドキ感をもたらすのだ。
そして、最後に苦労した末に主人公が生命の泉を飲んで次に繋がる予想なんだが、生命の泉を簡単にアンジェリカに渡してしまう。
なんてことも無いストーリーだった。

ハラハラするスリルやサスペンスが観られず、平坦なストーリーが2時間半も続いた。

それにしても、人魚の設定は以外性があって面白い。
はじめは魅惑的な姿で近寄り、隙を見て鋭いきばをむき出しにして襲い掛かってくる。
人魚の憎悪に満ちた表情と、海面をジャンプしては粘着縄で海賊たちを絡め取り海を真っ赤な血に染める残虐さは、
人魚の概念を覆すほど強烈なインパクトだ。
しかも最初に出てきたモデルの様にビックリするほど奇麗に整った顔立ちが、海に潜った途端牙を剥いて出てくる様とのギャップが大きく、
この場面はスリルがあった。




でも、ラストシーンでスパロウが語ったエンディングは良かった。
スパロウがこんな話をするか!、と勘ぐったりしたが、ラストシーンのセリフが良かったので全編が引き締まったようにさえ思えた。
 

バットマン 「ダークナイト」

2011-08-22 06:42:41 | 映画


NHKの「シネマ堂」が「ダークナイト」を是非見るべきだと力説していたので、DVDを借りてきた。
バットマンシリーズを沢山見たわけでも無いので、シリーズの繋がりなど不明であるが、「ダークナイト」をみた印象は、これは面白い。
単純なヒーロー映画ではなかった。
善悪の立場を少し変えた映画は、ヒーロー主体の映画よりか展開が面白い。

この映画を見て、佐藤優と田原総一郎の共著「第三次世界大戦 新・帝国主義でこうなる」の中で、佐藤優が述べていたことを思い出した。
正確な記述内容までは記憶していないが、意味とするところは、こうだ。
『アメリカを端的に表現すれば、「西部劇の保安官」とドラえもんの「ジャイン」を併せ持ったものだ。
 何時も正義を振りかざす保安官と駄々をこねる意地悪ガキのジャインが一体と混在しているのが、アメリカの実態。
 今のアメリカに、「保安官のアメリカ」か、「ジャインのアメリカ」か、どちらかが出ているのかを見極めながら、アメリカとは向き合う必要がある』

バットマンとアメリカは同じ人物なのだ。

バットマンが犯罪を摘発すればするほど、マフィアの犯罪は凶悪化し、ついにはマフィアにすら忌み嫌われていたジョーカーを雇い、そのジョーカーは毎日市民を殺す。
バットマンは手段を選ばずマフィアを追い詰め、マフィアはバットマンに徹底的に追われるから、バットマンを殺そうとジョーカーを雇う。
ジョーカーはそれをいいことに、市民を巻き添えにして殺人ショーを展開する。

バットマンが強引な摘発方法に走れば走るほど、犯罪者も過激な方法に訴える。
犯罪はエスカレートし、巻き添えで死ぬ市民が増える。

バットマンの苦悩は、自分の良かれと思ってする行動が逆に犯罪者を刺激し、犯罪が凶悪化するという悪循環にある。
犯罪が先か、バットマンが先か。

バットマンの正義はなんだ。
バットマンはゴッサム・シティに蔓延る悪を退治することだがら、バットマンの取った行動はバットマンにとって「正義」そのものだ。
「正義」と称する力によって、「悪」の力に対抗する。

こうした戦いの結果、バットマンの正義とする力が勝利し、平和が訪れるはずだと信じて戦う。
つまり、「正義」という信念と具体的な「力」によってしか、「平和」は勝ちとり得ない。

一般的に、法事国家であれば犯罪は警察や検察組織の担当だから、バットマンの存在そのものを認めることは国家が法的機能を放棄したことになる。
バットマンの役割は、国家の法的機能である警察組織機能を飛び越した「超法規的力」も必要だと言う認識が国家組織にあるのだろう。
ゴッダム・シティには、バットマンは必要なんだ。

バットマンの「正義」は、「超法規的力」によって合法であろうが非合法であろうが、バットマンはどんな手段でも取ることができることにある。
警察や検察が捜査をするには、法律による制約があるが、バットマンのように法律に縛られない存在はとても便利だ。
やはり、法事国家と言えど、バットマンは必要悪として存在せざるを得ない。

一方、興味をそそられたのは、如何にも正義漢の塊のような人物でも、状況の変化によっては正義の下に隠れた「悪」に、いとも簡単に変ってしまうという事実だ。
バットマンだって、何時そうならないとは保障できない。

人間の本質は基本的に何等変らないので、バットマンのとる行動の根底にある論理や世界観には感じるところが多い。

バットマンを、世界最強の国、世界の警察を自負しているアメリカに置き換えてみると、アメリカが基本的に持っている、彼らの行動の正当性を垣間見ることができる。
バットマン対「ジョーカー」は、アメリカ対「悪の枢軸」や「悪のテロ組織」に簡単に置き換えることができる。
つまり、パワーゲームだ。

果たして、アメリカはその巨大な軍事力をもって、力ずくでテロ組織を壊滅させることができるだろうか。
アメリカがテロ組織によって疲弊させられている様を、ただ冷笑的に見ていればいいという話でもない。

アメリカがアフガニスタンのタリバン政権を倒したことにより、自由を享受し、抑圧的な政策から解放された現地の人々がいたことは事実だろうし、
アメリカの軍事行動が独善的だと非難しても、その軍事行動を待たなければ、アフガニスタンの状況を前進させられないことも事実だろう。

戦争とバットマンのもたらす結果は同じだ。
バットマンだけではゴッサム・シティに平和をもたらすことはできないように、アメリカの戦争だけではイラクやアフガニスタンに明日への力をもたらすことはできないかもしれない。

しかし、テロとの戦いは軍事力だけでは無いと言いつつ、結果的には世界はアメリカを非難しつつもアメリカの圧倒的なパワーを永遠に必要とするだろう。
ゴッサム・シティがバットマンを非難しつつ、バットマンの圧倒的な力を必要としているように。
ビンラディン暗殺にかけて実行したアメリカの正義には、その集中力には、唯ただ感心するしかない。




バットマンのなかで、ググッとくる場面とセリフは、繰り返しになるがこうだ。

『映画の中で、ジョーカーがバットマンに向かって哄笑しながら、「俺もお前も世間から見れば化け物じゃないか」と繰りかえし、
 バットマンが勝手に私設自警員として、奇怪な覆面衣装に身を固め、法律を無視して正義の味方を気取る矛盾を突いてくる。
 そして悩むバットマンをあざ笑いながら、「お前が正体を晒すまで、俺は毎日、市民を一人ずつ殺していくぞ」と言って、本当に罪のない市民を殺し始める』

ダークナイトは面白かった。

しかし、アメリカはもっと強く成らねばならないのではないか。

「産経ニュース 正論ー西尾幹二」には、アメリカ建国以来の植民地願望が記載されている。
メキシコからの土地割譲、武力よるハワイ割譲、フィリッピンや日本を武力によって占領し、その後中国を飛び越えて西に向った戦争目的が記述してある。
「西へ向かうアメリカの熱病は近年、中国を飛び越え、アフガニスタンから中東イスラム圏にまで到達し、ドルの急落を招き、遂に大国としての黄昏(たそがれ)を迎えつつある。
 真珠湾攻撃は、70年間かけて一定の効果をあげたのである。」

だけど、米ドルの急落で真珠湾攻撃の成果があったと喜ぶほど、日本は強くないのが現実だ。

米国債のランク格下げには本当にがっかりした。


アンダルシアー黒田康作

2011-06-29 07:00:02 | 映画
 「アンダルシア」

「アンダルシア」を大久保の「ワーナーマイカル明石」に見に行った。
「黒田康作」のテレビが終了したので、映画を楽しみに待っていた。


これだけコロコロと総理や外務大臣が変わってしまう日本を考えたとき、諸外国にとっては外交的な話はしづらいと思う。
「初めてお目にかかります」と、毎度やられたら周りの周辺国にとってはたまらない。
南沙諸島を中心に、これだけ力比べ、我慢比べやっているときに、厚顔の交渉相手には子供扱いされるに決まっている。

黒田が外交官として適任かどうかはわからないけれど、少なくとも自分の信念を持っていない人に外交や国は任せられない。
確かに信念で行動する黒田に日本の理想的なリーダー像を託しているとも言えるかもしれぬ。

邦人保護を主目的にした、黒田康作は命令に実に忠実であるが、こう言う軸のぶれない人材は今の世情では、立位置によっては扱いに難しいと思われてしまう。よくある話だ。
でも、実に見事に問題を解決してしまうので、尚更、その立位置にいる人にとっては煙たい問題児なのだろう。
だが、結局、黒田康作でなければ問題は解決しない。
それ以外の担当者では、想定外だとか何とか出来ない理由を作り「しょうがないね」となってしまうかもしれない。

最近、日本の世情を反映してか、これに類する映画やテレビが多いし、また、見ていて実に痛快なのだ。
「相棒」、「SP」も面白かった。

みんなは「鞍馬天狗」や「怪傑ハリマオ」を待っている。「月光仮面」も忘れてはいけない。

ヒーローが守ろうとしているのは大げさで観念的な題目ではない。
彼らは、まず日本人の心の中にある「正義心」、それを守ろうとした。その味方であろうとした。
日本人の中にある「正義」を取り戻そうという意図もあるのかもしれない。
「正義」や「正論」を正しく認識することは重要な事だろう、と。

黒田康作は言った。「ちゃんと前をしっかりと見ていないと、正義を見失しなうぞ」と。


一方、外交官の不祥事は掃いて捨てる程新聞やテレビで見たり聞いたりした。

その詳細な内容は、鈴木宗雄の「汚名」、佐藤優の「国家の謀略」、天木直人「さらば外務省」等に見ることができる。
特に、鈴木宗雄著「汚名」の「外務省の生き物の生態」では、具体的な実名まであげて、外務省の内情を記述している。
例えば、怒鳴りつけるとアルマジロのように硬直する。ミスを叱責されるやいなや、ソファに倒れこんで、体をギュッと丸めてピクリともしない等々、本当かと思ってしまう。

一般企業にも、そのような人種はいない事は勿論ないと思うが。
このような資質の人種が国家を代表して、ロシアや中国あるいは米国と交渉しているのだという。

ところで、映画そのものは、類似のアメリカ映画に比べ映像のメリハリやスピード感に乏しいが、それが返って有機的に映り好感がもてた。
それにしても、インターポールの日本人警察官が銃を実際撃ったことがないという設定は、いかにも日本的で寂しい限りだった。



「あらすじ」
スペイン北部に隣接する小国・アンドラで、日本人投資家・川島が殺害された。国際会議の準備でパリを訪れていた外交官・黒田康作は、事態を把握すべく調査を命じられ、
2人の事件関係者と出会った。
遺体の第一発見者、「ビクトル銀行」行員の新藤結花と、事件の担当者、インターポール捜査官・神足誠。何者かに狙われて怯える結花。神足は黒田に捜査情報を隠そうとする。
事件の裏に隠された「国際犯罪の闇」とは何か?そして、巧妙に仕組まれた数々の罠。真相を追う黒田に、最大の危機が訪れる。