しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

遠足に行く

2020年06月04日 | 城見小・他校
遠足に行く

~遠足は喜ぶほどの行事ではなかった~
リュックサックにお菓子を持っていけるのが楽しみだった。
前日に親から20~30円もらい、自分でお菓子を買えることがうれしかった。


吉浜の天神・・・1年生
茂平や用之江のお宮より、すこし立派な感じがした。
眼鏡橋やツツジの庭園で遊んだ思い出がある。
※大正時代に父も遠足でいったところ。そして管理人の子も遠足で行った。


古城山・・・1年生または2年史
学校から国道2号線(旧)を歩いて行った。
遠かった。
途中、吉浜や金浦では、
道路沿いで親類の叔母さんやお祖母さんが、遠足の生徒を待っていた。
目的の子にお菓子や飴玉を手渡ししていた。
それを見ながら、うらやましくて仕方なかった。
古城山では、唯一”お猿さん”が楽しかった。
あたりまえだが、木山捷平さんのように、海を見て感激は全くなかった。
ただ、笠岡湾に浮かぶ打瀬の船の風景は高い場所からみてきれいだった。
帰りは徒歩でなくバスだった。
バスの運転手さんが飛ばしてくれた、それに感激した。



津之下の飛行場(跡)・・・たぶん2年生
保育園から高校まで、学校の遠足や旅行に数々行けど
いちばん行ってつまらなかったのが津之下の飛行場。
飛行場は当時、予備隊だったのか、病院?かわからないが
内部見学はまったく興味一つなく、
外部といえば、前に海辺があるだけ。
帰り道の大津野の土手を歩いている時、疲れをどっと感じた遠足だった。


福山城と草戸・・・2年生か3年生
学校から大門駅まで歩いて行った。
そこから汽車で福山駅まで行った。
福山駅から福山城跡に行った。
弁当を食べた残りをごみ籠に棄ていると、それをあさるルンペンが一人か二人いた。
その時、初めてルンペンを見た。
福山城からは、バスで草戸に行った。
バスから降りて”五重塔”を見た。
初めて見る五重塔に少し感動した。
そのあとで芦田川に降りた。
芦田川ではとてつもないカルチャーショックを受けた。
こんな川幅ある川があることにびっくり仰天した。
茂平にはジャンプすれば飛び越えられる川しかなかった。
丸い小石を水面に投げて遊び(水切り)は、海でする遊びと思っていたが、川でもできることを知った。
初めて、世の中は広いことを実感した。
(それまでが狭かっただけだが)


金光教・・・4年生
汽車に乗って金光駅まで行った。
駅から門前町を歩いて金光教本部に行った。
庭にゴミがなく、箒の跡がついていた。
その後、金光教の裏山で遊んだような記憶がある。


尾道の千光寺・・・5年生
駅から千光寺山に登ったという記憶はないし、
ロープウェイで登った記憶もない。
ということはバスで尾道まで行ったのだろうか?
造船所のクレーンだけが思い出に残っている。


岡山城と後楽園・・・6年生
6年生の春、岡山に行った。
岡山城と後楽園に行ったように思うけど、
それ以上の記憶が戻らない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動物②

2020年06月04日 | 城見小・他校
ニワトリ
小学校に上がる頃、家の裏に鶏舎を建てた。
そこでニワトリを20~30羽飼い始めた。
その頃は、庭で数羽飼うのが主流で20~30羽は多かった。
そして1~2年後にゲージ飼いになった。
200羽ほど飼うようになった。
水の他に、三度飼料を与え、卵を籠に取る。
適時に糞を除去していた。
冬か春にヒヨコを仕入れていた。
父は数日間ヒヨコと寝泊まりをした。
管理人もいっしょに寝たことがあり、ヒヨコが来るときは楽しかった。




養蜂
どこから来る人が知らないが、毎年春になると養蜂の人がやってきた。
蜜箱を、宮ノ崎の畑に3~4箱、家の裏畑に1箱ほど置いていた。
3週間後位に、再びきて箱を引き取った。
その時は必ずお礼に大きな瓶に入った蜂蜜をくれていた。
父が、蜜の他に礼金をもらっていたのかは知らない。
その蜜は液体でなく個体。金属であるサジでほじってもとりにくい程の純度だった。



野兎
うつろの山畑には、小さくて丸い兎の糞が落ちていた。
糞はよく見るが実物に遭遇することは滅多になかった。
たまに見つけると、すごい速さで消え去っていった。




庭に来る雀を捕ろうと・・・日本全国の子供の共通だが・・・円形のフルイに箸を立て、
箸には糸を結び戸の内側に入って身を隠す。
エサを目当てに数匹の雀がやってくる。
その瞬間に糸を引っ張る。
落ちたフルイの中に、逃げ遅れた雀が居た・・・・ことは一度もない!
必ず逃げられていた。
毎年わかってはいてもフルイを出していた。
わかっていても、してたのは雀がフルイの下にいて、その時を見計らうのが面白かったように思う。




ドジョウ
田んぼでおなじみのドジョウを一度だけ食べたことがある。
あまり旨くないというのは聞いていた。
偶然多く取れたので料理にした感じだった。
半分はドジョウ汁で食べ、
残り半分は煮て食べた。
どちらの料理も不味かった。もうええと思った。



毛糸が貴重品の時代、家で羊を一匹飼っていた。
毛がふさふさし、手触りがいい動物だった。
毛が伸びると、専門の人が来てバリカンで毛を刈っていた。
ある時、
その羊が死んでしまった。
それから毎日・毎日・毎日・・・・・・羊の肉を食べた。
何日連続して食べたか、人生で一番長期間の食べ物となった。
一回で終わって良かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動物①

2020年06月04日 | 城見小・他校
家ネズミ
寝る前、家の外から聞こえるのは、雨や雷や風の音くらい。
しかし家の中から聞こえる音が二つあった。
ひとつは、柱時計の音。チックタック、と昼には耳に入らない音が大きく聞こえた。
もうひとつ、それがネズミが走る音だった。
寝ている真上から聞こえる。ネズミの運動会で天井裏を走りまわっていた。
うるさい、わるい音だった。
(猫いらず)
母は蔵に猫いらずを撒いていた。
そのせいか、蔵にはめったにネズミはなかった。
(猫)
飼い猫がいた。
ネズミと遭遇すると責めるのでなく、後ずさりしていた。
たまに、死んだネズミを口にくわえて家人にアッピールし、嘲笑されていた。


マムシ
管理人の祖父は、畑で見つけたハミ(まむし)を握ったまま、生血を吸うので
・・・見た人には・・・有名だった。
私は残念ながら、その場面に遭遇したことは無いが、母は年度も経験しているみたいだった。
(「動物民族Ⅱ」長澤武著 法政大学発行より)
マムシ
マムシの毒は強く、咬まれると死亡することもあると言われ、昔から恐れられている。
咬症例は年間2.000件、死亡例は20件くらいあるとのことである。



オオカミ
オオカミは怖かった。
赤ずきんちゃんを食べたので、そのイメージが強かったのだろう。
山の奥には、オオカミがいると思っていた。


イノシシ
絵本などで、鉄砲撃ちが仕留めたイノシシ見た。
イノシシはこのあたりにはいない、遠くの山の、そのまた奥に住む生き物だと思っていた。
平成より急に身近な動物になった。
こんなことは、まったく予想もしていなかった。


フカ
上級生から「フカに注意せい」と言われる年があった。
たぶん、大人のニュースや話から、茂平の海にも出現の可能性があるからだろう。
その年は海で泳ぐ(小学生が一年でいちばんの楽しみ)ことが少し気になった。
フカは人間の脚などを食べると言われていた。


ひいる(ヒル)
学校の田植え休みは毎年3日間(4日間だったかな?)あった。
田植えの手伝いをしに、田んぼに入るとひいるに噛まれるのは当たり前のこと。
田んぼの”吸血鬼”だった。
この吸血鬼はにゅるにゅるして指でとりにくかった。
やっと引き取ると、ちょっと痛みと、血が出ていた。
農薬に弱く、今はいないそうだ。


ノミ
ノミは体や下着に付いていて、ものすごいジャンプ力があった。
母に特技があって、
そのノミをつかまえて殺す名人だった。
夏の頃、寝る前に子守唄代わりにノミを捕まえては何匹も殺していた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする