Photo:日の暮れた終着駅サラエボに到着した397列車
ザグレブ発サラエボ行き397列車の停車駅と走行ルート表
←10:ザグレブ発サラエボ行き397列車の旅 前編からの続き
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国駅Dobrljinでは結局、定刻より25分遅れて12時15分に出発。
無事に手元に戻ったパスポートのページをめくってみると、かすれた薄いインクでボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国スタンプが捺されていた。
397列車はDobrljinを出ると、後はもう停車駅に着く度に列車の遅れが拡大していくような有様。
今さら先を急ぐ気など全く無い、なぁにどうにかなるさ、今日中にはサラエボに着くだろうさ、と言わんばかりの、のんびりとしたローカル線国際列車の旅が続く。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領内に入ると、駅名がロシア語などに用いられるキリル文字による表記に変わった。
一言で「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」と呼んでいるが、実際にはボスニア・ヘルツェゴヴィナは2つの共和国で構成された連邦国家である。
その2つの共和国のうちセルビア人が主体となっているのがスルプスカ共和国で、言語もセルビア語でキリル文字が用いられる。
サラエボ行き397列車が国境を越えてボスニア・ヘルツェゴヴィナ領内に入ったDobrljinの一帯はスルプスカ共和国の領内であり、車窓にもキリル文字の表記が見られるようになる。
ところが一つ困ったことには駅にはセルビア語のキリル文字の駅名表示しか無く、そして僕はキリル文字が全く読めないので、今どこの何という駅に着いたのか、列車は今どこを走っているのかがさっぱり分からなくなってしまった。
手許に用意しておいた、インターネット経由で手に入れた397列車の停車駅時刻表と見比べようにも、既にかなりダイヤに遅れが生じている上に時刻表に記載されていない駅にも頻繁に停車しているようで、もう何がなんだかわからない有様。
…まぁいい、あくせく状況を調べるのは諦めて気ままに行こう!
「なぁに、どうにかなるさ」、多分これがボスニア・ヘルツェゴヴィナの流儀なんだろうから。
397列車はスルプスカ共和国のどこかの名も知らぬ小さな駅に停車しながら、相変わらずのんびりと走っていく。
駅構内に、腕木信号機を発見!
信号灯のレンズも割れていないし、まだ現役で使われているものなのだろうか?
停車駅ごとに、それなりの数の乗客の乗り降りがある。
1日に1往復だけの国際列車も、ローカル線の地元の人達の足として活躍しているようだ。
駅前広場に静態保存されているSLを発見。
ずっとコンパートメントの客室にこもって座っているのにも飽きてきたので、397列車の編成を歩き回って車内の散歩をしてみよう。
編成最後尾まで行って、デッキのドア窓から走り去る線路を眺める。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは基本的に山林か田園地帯の風景が延々と続く。
一方こちらは編成の最先頭。397列車を牽引する電気機関車の顔が間近に見られる。
ヨーロッパの鉄道で広く使用されているリンク式(ネジ式)連結器の構造も手に取るように見えるので、鉄道ファンなら見ていて飽きない。
デッキの出入り口ドア扉にはこの列車のサボ(行き先表示)が張り出されている。
同じ編成がザグレブとサラエボの間を行ったり来たりして運用されているようで、往復分の両方の列車番号と停車駅が上下互い違いに表示されていた。毎日、終着駅に着いたら上下を逆に入れ替えるのだろう。
こちらのドアには、サボの印刷が間に合わなかったのか、コピー用紙に列車番号と駅名を適当にプリント出力したものが無造作に差し込まれていた。
この大雑把さが、いかにもバルカン半島(笑)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入ると停車駅ごとに乗客の乗り降りが頻繁になり、車内が混み合ったかと思うと一斉に下車してがら空きになったり。
空いているコンパートメントも目立つようになってきた。
397列車で使用されている、2等車の切符で乗れる1等個室コンパートメント客車の室内。
古びてはいるが、さすがは1等車。かなりゆったりとしていて乗り心地は良い。おそらくドイツあたりで優等列車に使用されていた客車の中古車を譲り受けて使用しているのだろう。
ただし、さすがに古さのせいか、時々窓が開かなくなっているハズレの部屋もあって、運悪くそういう部屋に座ってしまうと真夏の陽射しが降り注ぐ下ではかなりつらいかも(もちろん冷房などは付いていない!)。
窓を開けて外を見ると、山あいに小さな町並みが広がるボスニア・ヘルツェゴヴィナの美しい風景。
ここは山が多い国で、どこか日本の山里の風景に似ている気がするので心が安らぐ。
だが町並みをよく見ると、丘陵の一面が墓地になっていることが多い事に気が付く。
…紛争の犠牲者が埋葬されているのだろうか。のどかな山村の風景にも、胸が痛む歴史の記憶が残されていた。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの野を越え山越え、畑と川を越えて汽車は往く。
窓から外を見ていると、地元の人との思わぬ出会いがあったり。
そして時々、思い出したように小さな駅に停まる。
ようやく、駅名表示がキリル文字とアルファベットの併記になってきた。ここはStanariという駅であることが分かるのが何気に嬉しい。
…でもStanari駅も397列車の停車駅時刻表には記載されていないんだよなぁ。
もうそろそろ、スルプスカ共和国と共にボスニア・ヘルツェゴヴィナを構成する共和国であるボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦の領内に入る。
ところが、スルプスカ共和国からボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦に入ってしばらく走った後で停車した駅で列車が動かなくなってしまった。
どうやら列車の車輌に何か技術的な問題が発生したらしく、鉄道の技術スタッフと見られる人たちが駆けつけて車体の床下を覗き込んで何やら検査しているが、いつまで経っても列車が発車する気配がなく埒が明かない。
発車を待ちくたびれた乗客たちは、列車から降りて散歩を始めた。
まぁ、こういう運行トラブルはヨーロッパの田舎ではよくあること。焦っても始まらない、のんびり列車の出発を待つ。
「なぁに、どうにかなるさ」!
停車したまま動かない列車を、興味深そうに見に来た近所の子供。
もうそろそろ日が暮れるから、キミも家に帰ったほうがいいよ~
結局、1時間近く停車していたが何とか修理が完了したらしく、397列車はおっかなびっくりといった感じで再び走り始めた。
さぁ、終着駅サラエボまであと一っ走り…
午後7時半過ぎ、ザグレブ発サラエボ行き397列車は定刻より1時間半ほど遅れてサラエボ駅に到着した。
ザグレブから約10時間半の長い長い列車の旅だった。
すっかり日が暮れて暗くなった空の下に突如、きらびやかな都市サラエボの夜景が現れ、周囲の山並みにモスクからのアザーン(礼拝の時間を告げる呼び掛け)がこだまする。
サラエボにはムスリム人(ボシュニャク人)の市民が多いことが窺い知れる、エキゾチックな旅の一日の終わりとなった。
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