大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

バーレーン戦開始数時間前に思うこと-選考と起用法見ると、ジーコ時代に逆戻りか?

2008-09-06 23:08:48 | サッカー全般
代表監督がクラブの監督と異なることは、まず勝つ為に自分が思い描くサッカーを遂行する選手を招集する仕事があるということであり、言いかえればクラブでは主力の誰かが離脱すれば控え選手で埋めないといけない(ただそれだと往々にして控え選手の力量が落ちるためチームの成績にも影響する)のだが、代表監督は代わりの選手を招集することができる。故に代表監督が「選考者」という称号で呼ばれることが欧州ではよくあることだ。

今岡田監督に対して思っているのは、日本は選手選考と起用をキッチリ出来ていれば最終予選を十分突破できる力があるのだけども、どうも岡ちゃんにはそれが出来ていないということだ。例えばボランチだが、ヤットと長谷部という攻撃的な選手同士の組み合わせにしてしまっていてフィルター役を置いていない。本来ならこの二人のうちどちらかを置いて、もう一人にはフィルター役として今野か鈴木啓太、あるいは稲本が来るべきだと思うけども、どうも岡ちゃんって啓太を招集していないし、今野だってSBやCBの控えとして見ているように、そうした役割を果たす選手を重視していないように思える。

また、今野だってFC東京でCBやSBに入ったりするのは何もそちらが彼にとって適任というわけではなく、あくまでも離脱者が出た時にユーティリティーな彼が穴埋めに入っているに過ぎない。だから、コンちゃんを使うに当たっては、クラブではクラブの事情があって複数のポジションをやっているけど、本来彼の持ち味が出るのはボランチだということを理解した上で代表では使ってやらないといけないのではないか。

まあ、そう考えるとなんで稲本を呼んだのかなんだけどもね。本来彼はスタメン候補でもおかしくはないが、岡ちゃんが好むタイプではないように思える。にもかかわらず呼ばれたのは、あくまでも欧州組だからという理由だけかもしれない。あと、中盤を見渡して見ると、俊輔・松井・長谷部が当確っぽいし、あとは稲本が入るとなると欧州組みだらけのジーコジャパンの再現やな。言われてみれば今回の選考の中に、啓太だけでなく、山瀬のお兄ちゃんも入っていない、FWに玉田と大黒ってことは完全にジーコジャパンの再現ってことか・・・

悲しいことに一度、オシムによって積み上げたものが元の木阿弥になり、時計の針が2006年以前に逆戻りしてしまった感じがするね。その逆戻り路線が正しいかどうか、今後もそれを続けるか否か、という審判が数時間後に下ろうとしている。

シリア遠征の応援、そして誓約書の件

2008-09-06 02:14:56 | ガンバ大阪
クラブのオフィシャルHPに掲載されていたけども、シリアに個人参戦するサポーターはクラブに届け出て、当日は予め指定されたホテルに出向き、そこからバスでガンバサポ一同が固まってスタジアムへ向かうことになった。これで、手配していたホテルからスタまでの送迎を、自分たちが宿泊するホテルから集合するホテルの方への送迎へ変更せざるを得なくなってしまったのである。まあ、韓国やタイなんかと違って場所が場所だけに安全確保という観点からこのような措置になってしまったのは仕方がないかな、という気はする。

応援の件についてだけども、誓約書の件を解決するには、クラブとサポ側が互いに歩み寄らないといけないのだが、どちらかと言えば今の内容であってもサポの側がサインしない限り前には進まないような気がする。勿論、客という立場であるサポに対して誓約書を押し付けることや、そこに書かれた内容がクラブ側に恣意的な解釈を可能にさせてしまうかもしれない、という部分に不安を感じたりする気持ちは良く判るのであるが、ガンバのスタッフブログにおいてブログの筆者の方が書いておられる、

(引用開始)
ガンバ大阪は登録サポーターグループに圧力をかけたいわけではありませんし、ガチガチのルール規制をしている訳でもありません
(引用終わり)

という言葉を信じるしかないのかもしれない。こう書いたからといって、私自身は何もクラブ側に立っているわけでもないし、登録サポ団体やそこの皆さんを批判したいわけではない。ただ、誓約書というものの性格を理解し、それが如何様に解釈できるグレーゾーンの部分が多いとしても、だからこそ応援において何が良くて何が悪いのかはお互いが世間全般の常識や過去の前例と照らし合わせて判断して行ったらいいんじゃないか、と思うわけです。我々はルールと言うと兎に角分厚い条文が乗っている成文化された法典みたいなものを想像しがちだが、英国が不文憲法で成り立っているように、明文化されていないけども守るべきルールというのがあるわけであって、クラブとしてもそれをいちいち全て明文化することはできないんじゃないだろうか?

この話を判りやすく説明する為に具体例を挙げよう。例えばダンマクの件で言うと、去年のセバハン応援のダンマクが咎められたことにより、ACLで浦和を応援するしないは個人の信条の問題だとしても、万博で掲示するのが許されるのはあくまでもガンバを応援する内容のものでなければならない、というのが一つの前例になったわけだし、これから同じようなことをすれば当然クラブの処分の対象になりうる、というもので、それらに対してクラブは同意を求めているに過ぎないのではないか?まあ、これはあくまでも一例に過ぎないのであるが。あ、それで行けば歌万はこれまで通りOKなのかな・・・

いずれにしても、ああした内容の文面は一見簡単すぎるかもしれないけども、今後の応援における規範を造って行く上でのたたき台みたいなもので、そこから内容の解釈や、過去の前例というものを積み上げていって、ガンバ大阪の憲法というのが出来ていくのかもしれない。話はそれるけども、憲法っていう日本語はどうも、Consititutionという英語の正確な訳語ではないかもしれない。憲法というのは、英語の該当するワードが示すように、あくまでも国家の性格を制定しているものに過ぎないのだから。