ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第792号 「八重の桜 ⑧」 函館で余生を静かに過ごした会津撫子

2013年04月18日 | テレビ番組
NHK放送局の窓口に置いている「八重の桜」の広報用パンフレット。
これを見ることによって、登場人物、つながりが良く分かり、ドラマをより楽しく見ることができる。実に嬉しい配慮だ。
これが、そのおなじみのパンフ。



ここに紹介されている人物は40名。
ドラマ進行とともに、見比べている。
その中に「会津の女たち」に分類されている「中野竹子」(女優名=黒木メイサ)の名がある。
会津では有名な女性で、既にドラマには出ている。

彼女は、江戸常詰会津藩士・中野平内の長女で、妹は優子。
二人ともかなりの美才で、しかも「なぎなた」の名手。

京都郊外の鳥羽・伏見で戦火が始まった「戊辰戦争」。
その戦場は東北へと拡大進行。
明治元(1868)年8月25日、会津のご城下も戦場となったのである。

姉妹は、なぎなたグループ「娘子隊」の隊員で、竹子はリーダー格。
隊(6人~9人)として、政府軍と勇敢に立ち向かった。
中でも竹子の戦いぶりは、目を見張るものがあったという。
しかしながら、時は既に銃器の時代。
竹子は額に被弾し、あえなく戦死した。
妹の優子、母は、激しい戦闘状況ではあったが、姉・竹子の首を介錯し、近くの法界寺に葬った。

その後、優子は函館に移り住んだ。
1871(明治4)年、山浦鉄四郎と結婚し、第二の故郷となった函館・千代台町で、静かに暮らし、1931年、79歳で没した。
墓は青森県八戸市湊町の会津墓地にある。

会津戦争時、二人の年齢は、姉・竹子22歳、優子16歳であった。

優子は、竹子の分も含め、幸せな人生を送れたのだろうか?
天国での生活は、きっと二人仲良く、楽しい人生をと、願っている。


ミカエル