ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
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第767号 停電でも暖はとれたのだが・・・

2012年12月04日 | 我が家のもろもろ
つい先日の事、胆振管内の室蘭・苫小牧・登別で大規模停電があった。
主たる原因は送電線をつないでいる鉄塔の倒壊によるもの。
公共においては交通信号などに影響が出、物流に多大なるマイナス要因が生じた。

日常生活においては、暖房。
それぞれの家庭では、創意工夫をこらして見事に乗り切ったのは、やはり北国のすばらしい知恵なのかと思った。

「電気がなくても「暖はとれる」。
「文明や科学が進歩して、それに頼らずに過ごすことができる」。
しかしながら、ノー電気ストーブの生産は追いつかなかった。
予期せぬ出来事にメーカーとても、対応できなかったからであろう。

こんな時、思い出すのが「まき」や「石炭」ストーブ。
まきは。軒下に積み上げていたが、石炭は、財力のある過程はは、物置に。
そうでない家庭は、玄関に近い部屋の床下に貯めた。

月に一度、、馬車が石炭を運んできてくれる。
玄関に近い部屋の畳と床板を上げ、その空間に石炭をどさっ。

およそ30分かけて1トンか2トンの石炭を投げ入れ。
終わると馬に水を。
鼻をなでなでしてやると喜びの表情。可愛かった。



写真はその石炭を熱源とすろストーブの数々。
朝は新聞紙とたきつけで着火。たきつけを確保するのは私の仕事。
近くの製材所から「おじさん、これちょうだいね」と、もらってきたものだった。
そしてりんご箱くらいの大きさに、床下から石炭を入れるのも仕事。

道路には大きな木の箱。
ここに毎朝ストーブから出る燃え殻なども捨てに行った。

嫌なのが「煙突掃除」。
すすで顔が真っ黒。
停電になっても暖は確保できたものの、それなりの苦労はあった。

ミカエル



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3 コメント

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我が家も・・・ (tani)
2012-12-05 13:50:53
はじめまして
私は50代ですが、
子供のころからずっと石炭ストーブでした
石炭がかなり入手困難になるまで
使用していました
物置に石炭小屋があって、毎年2トン近く使いました
補充・灰捨て・煙突掃除は大変でしたね
懐かしいです
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追伸 (tani)
2012-12-05 22:22:36
私は道南生まれ
50代前半です
いつも拝見しています
奥様を大切にしていらっしゃるのですね
お体を大切になさってください
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taniさんへ (ミカエル)
2012-12-06 16:01:36
こんばんは
いつもご覧になって頂き有難うございます
ストーブはフクロクの貯炭式でした。
朝、着火し石炭を満タンにすると夕方まで大丈夫でした。

ミケは3日、退院後、一月ぶりに外出。
診察のためでした。地下食堂でラーメンを食し「美味しいね」と、にっこり。

これから寒さ厳しくなります。
どうぞ体調におきをつけてお過ごしください。

ミカエル

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