太平洋戦争終結から本日で78年。今年は開戦から82年に当たる。
国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和の尊さを再確認し、反戦への誓いについて考えたい。
毎年8月15日はポツダム宣言受諾日であるが一般的には終戦記念日として捉えられている。先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていて追悼式典がおこなわわれている。
式典には、岸田総理を始め、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、関係団体の代表、遺族の方々などが参列し、先の大戦における全戦没者に対して追悼の誠をささげた。
追悼の対象は「第二次世界大戦(日中戦争/支那事変・太平洋戦争/大東亜戦争)で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と、「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。
式典は政府主催で行う。
第二次世界大戦の国別の戦死者数は、ソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人、日本の230万人がこれに次ぐ。
アジア・太平洋地域の軍民の犠牲者数はフィリピン100万人、ベトナム200万人、中国1000万人以上・・・などとされる。
日本人死者の9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算される。そのほとんどは戦闘死ではない。30万人を超える海没死した。軍の乏しい補給力を背景に考え難いほどの兵士が辛酸を舐め、餓死・病死で命を失った。また、特攻などの理不尽な作戦で命を失った。
なぜ我が国の死者がこれほど多く非業の死を遂げたのか、国による分析はあるのだろうか。私は無学にして知らない。
その検討や反省もなく、犠牲者達をまとめて追悼するのは死者の霊に失礼ではないか、とさえ思っている。
一人一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である。
戦争は人間の死の重みを変える。 かけがえのない命を数えるのに「約」がつく。
赤紙ひとつで駆り出され故郷や家族に別れを告げなければならなかった兵士たち、そこにはここの人生があったはずであるが全て抹殺されて統計的数値となってしまう。やむを得ないことだと思いながら、私は心やすらかには捉えられない。
8月15日は、ほとんど戦争を知らない世代の私にとっても重い鎮魂の日である。
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