沖縄ではよく見た猫。
街角にも、公園にも、そこここ、あちこちに猫がいたのです。
それらのほとんどは野良猫らしく、病気を持っているのが見て取れる猫も多くいました。
病気というよりも、親兄弟との交尾によって産まれるため、血が濃いからなのでしょうか。
それが、北海道での暮らしでは、まったくといってもいいほど、
猫を見ることはありません。
たとえ家猫であっても、時には外に出ることもあるでしょうから、
目に触れないはずはないと思うのですが、
このあたりでも、町に行ったときにでも、見かけないのですから、
不思議な感じです。
我が家の今日の夕食は、サバを焼いたのですが、
食べ終えた時、にゃん子を思い出したのです。
山梨で、にゃん子を初めて見かけた頃、
いつもですと、庭先の遠くの方から様子を窺っていたにゃん子が、
お魚を焼く日には、換気扇の下まで来て座っていたのです。
なんだか、おいしそうなにおいがするわ…と近づいてきていたのでしょうか。
今頃、にゃん子はどうしていることでしょう。
もう、かなり高齢になっていますので、
若手の猫に、テリトリーを狭められ…、あるいは追い出されるようなことも
考えられます。
悲しいかな、それは、自分が生み育てた猫ということもあるのでしょうね。
世代の交代とは、そうしたものかもしれません。
特に、自然界において、テリトリーを守るということは、
厳しい戦いに勝つ力を持っていることが必要です。
果たして、野良猫としては優しいにゃん子が、そんな戦いに勝てるとは思えませんが、
せめて、私たちが帰る9月まで、我が家のあたりで暮らしていてほしいと願っています。
待っててね、にゃん子。
街角にも、公園にも、そこここ、あちこちに猫がいたのです。
それらのほとんどは野良猫らしく、病気を持っているのが見て取れる猫も多くいました。
病気というよりも、親兄弟との交尾によって産まれるため、血が濃いからなのでしょうか。
それが、北海道での暮らしでは、まったくといってもいいほど、
猫を見ることはありません。
たとえ家猫であっても、時には外に出ることもあるでしょうから、
目に触れないはずはないと思うのですが、
このあたりでも、町に行ったときにでも、見かけないのですから、
不思議な感じです。
我が家の今日の夕食は、サバを焼いたのですが、
食べ終えた時、にゃん子を思い出したのです。
山梨で、にゃん子を初めて見かけた頃、
いつもですと、庭先の遠くの方から様子を窺っていたにゃん子が、
お魚を焼く日には、換気扇の下まで来て座っていたのです。
なんだか、おいしそうなにおいがするわ…と近づいてきていたのでしょうか。
今頃、にゃん子はどうしていることでしょう。
もう、かなり高齢になっていますので、
若手の猫に、テリトリーを狭められ…、あるいは追い出されるようなことも
考えられます。
悲しいかな、それは、自分が生み育てた猫ということもあるのでしょうね。
世代の交代とは、そうしたものかもしれません。
特に、自然界において、テリトリーを守るということは、
厳しい戦いに勝つ力を持っていることが必要です。
果たして、野良猫としては優しいにゃん子が、そんな戦いに勝てるとは思えませんが、
せめて、私たちが帰る9月まで、我が家のあたりで暮らしていてほしいと願っています。
待っててね、にゃん子。