想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

一年の終わりに…

2016-12-31 22:07:44 | 日記
今日は、今年の最終日。

いろいろなことがあった一年でした。
今年は、いつもにも増して、そう思うのです。

大晦日…ですから、簡単にお掃除こそしましたが、
我が家は、大晦日もお正月も、いつもと変わらず、同じ生活です。
お散歩に行きましたし、ティータイムにスイーツを食べながら、いろいろなお話もできました。
そんないつもと変わらない生活を、ありがたいと思います。

夕食はお鍋。
ここ数年でしょうか、大晦日は、いつもお鍋をします。
糖質制限をしていますので、お鍋の締めのお雑炊や麺類はありません。
そして、紅白をみたりしながら、11時過ぎから年越しそばを食べます。

今年は、少し違いました。
お鍋の最後に、糖質0麺を1玉入れて締めにし、
年越しそばの代わりにしました。

昨年までは、糖質0麺を使いますが、エビ天(私はワカサギのから揚げ)を入れていました。
年越しそばは、我が家で唯一と言ってもいいほど、欠かしたことがない風習でしたが、
今年からは、それもやめました。

糖質制限をしていることもありますが、
昼食を食べなくなって1年。
また、今年の夏からは、毎月1日を『不食の日』と決めて実践。
もう、5度を経験していますので、多くを食べなくてもよくなっているからです。

今年も、二人とも元気(私も一応、元気)で、一年を過ごしてきました。
いろいろありましたが、しあわせな一年でした。
感謝、感謝の一年でした。

今、2階のオフィスで、ブログを書いています。
主人も、今年のお仕事を終えて、アメリカンフットボールのビデオを見たりしながら、
自分の時間を楽しんでいるようです。
そんな主人を背中に感じられることを、ありがたいと思います。

今年一年、お疲れさまでした。
二人で仲良く元気に年を越すことができます。
本当にありがとう…あなた。
とってもしあわせです。
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良いお年を…

2016-12-30 22:06:25 | 日記
にゃん子が来ました。
いつもよりも長い時間、南のデッキにいました。

しかも、いつもですと、私たちが声をかけない限り、鳴くことはありません。
野良ちゃんですから、こんな森の中で鳴くことで、
危険が近づくこともあるからかもしれません。

ところが、今日はよく鳴いていました。
主人は、私達がまもなく沖縄に行くことを知っているのかなと言います。
そういえば、声が甘え声になっているようです。
猫なで声…と言われるくらいですので、もともとが甘え声なのでしょうけれど、
今日は特別、何かを訴えるような声に聞こえました。

にゃん子は、いくつになっているのでしょう。
我が家の近くに座って、いつもこちらを見ていたのが、2007年の2月。
ですから、まもなく10年になります。
その頃には、決して子猫ではなく、既に成猫のように見えました。

それ以後、よく遊びに来るようになりました。
決して甘えることはなく、触れさせることもなく、今日に至ります。
ただ、最近は、足元の30cmくらいまでは近づいてきますが、
その距離感が、にゃん子にとってはちょうど良いらしいので、
私達も、にゃん子の気持ちを尊重しています。

ここは、冬の寒さが厳しいところです。
氷点下10度以下になる日もありますし、
1m50cmの大雪が降った年もありました。

今までに、何度かの子育てもしました。
野良ちゃんですから、育てるのも大変です。
自然環境の厳しさだけではなく、
小動物を食用とするカラス、キツネ、テン、狸、ハクビシンなど、
天敵も多いからです。

にゃん子は、それでも強く逞しく生きています。

今年も、我が家に遊びに来てくれてありがとう。
どうぞ、元気で、良い年を迎えてくださいね。


 右目が開きにくそうです。
 大丈夫なのかしら?
 明日も来てほしいけれど…、元気で年を越してね。
 良いお年を…。
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しあわせとは

2016-12-29 21:47:24 | 日記
「どんな時にしあわせを感じますか?」

韓国のビジネス街とスラム街でのインタビューを、テレビでしていました。

ビジネス街の人は、「高級なバッグや服などを買ったとき」「高級車を買ったとき」
と答えていました。
一方、スラム街で暮らす人は、家もなく、バラック住まいです。
ゴミを集めて売るなど、日々の生活の大変さがあるようでした。
ご近所同士が、食べ物を分け合い、お互いに声を掛け合い、助け合って暮らしておられます。
それでも、「しあわせです。」と答えておられました。

そんな今日、私にとってのしあわせを考えていました。

30数年前、親戚のお手伝いをしていた私は、そこで主人と出会いました。
当時は、学生アルバイトの一人だった主人ですが、異性にもかかわらず、
一緒にいても、それまでには経験したことがない安心感がありました。
2年ほどで、主人は大学を卒業し、横浜の会社に勤務することに…。

特にお付き合いをしていたわけではありませんでしたので、
当然のことながら、私たちはそのまま別々の道をあゆむことになります。

ただ私は、主人に出会えたことに感謝しました。
とても素敵な人だと思っていましたから、
しあわせになってほしいと願いました。
主人からは、毎年、年賀状や暑中見舞いが届きましたので、
しあわせに暮らしていることをうれしく思っていたのです。

私は、『素敵な人に出会えたこと』と『その人のしあわせを願うこと』に
しあわせを感じていたのです。
出会えたことに感謝し、しあわせを願える人がいることに感謝していました。

約5年後、その人が私の前に現れたのです。
しかも、どうやら、しあわせではなさそう…だったのです。

悔しくて、悲しくて、残念で…、私は(たぶん、自分自身に)怒りさえも感じていました。
なぜ、しあわせでいてくれなかったの?

その1年後、私たちは結婚しました。
私は、主人がしあわせな暮らしができることを望みました。
主人らしく生きてほしいと望みました。
そのために、少しでも助けられることがあれば…と思いました。
それが、私のしあわせでした。

素敵な人、好きな人のしあわせのために生きることができる。
それは、ひいては私自身のしあわせにつながります。

今、私はとってもしあわせです。
あなたからも、たくさんのしあわせをもらっています。
あなたに、心から感謝しています。
本当にありがとう…。
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真冬日の一日

2016-12-28 22:09:50 | 日記
真冬日の一日でした。
早朝の気温は、氷点下2度。
因みに、今の気温は氷点下5度です。

そんな今朝、私たちは、4時前に起きました。
急ぎのお仕事が入っていたからです。
年末ですから、お客さんが年内の納品を希望されました。
そのお仕事は、アメリカのスタッフから、一旦、我が家に納品され、
我が家で仕上げてから、お客さんに納品という形になります。

そんなことから、アメリカから納品される時間を見計らって起きたのです。
その時間には、既にアメリカから納品されていましたので、
我が家でのお仕事の開始です。

予定通り、順調にお仕事ができて、無事、納品することができました。
年内は、明日、明後日まで、納品があります。
ありがたいことです。

そんな今日のお散歩は、11時前に出掛けることにしました。
日差しがあっても、日中の気温はほとんど上がりません。
気温もさることながら、風も強くて、体感気温は氷点下5度。
もともと、寒さには強いほうではありましたが、
長袖のTシャツに、ジャンパーを着てのお散歩は、ちょっと寒さを感じます。
でも、さすがに長年(17年)住んでいますと、寒さには慣れてくるものです。

こんな日だからこその、いいこともあるのです。
霜柱です。
まるで、花が咲いたかのように、とてもきれいでした。

八ヶ岳もきれいでした。
雪に覆われた山頂と真っ青な空が、格別でした。

今日のように寒い日でも、小一時間のお散歩から帰ってくると、
「行ってよかったわ。」と、いつも思います。
自然の中を、風を感じ、美しい空や山を見ながらのお散歩ができるのですから、
なんと、しあわせなことでしょう。

今日も、素敵な一日を、ありがとう…。


 我が家から歩いて1分。
 凛と立つカラマツが、青空に生えています。


 雪の八ヶ岳がきれいでした。


 まるで、霜柱の畑です。
 その長さは6~7cm…、もっと長いかもしれません。


 森の中では、こうして、花が咲いたように見える霜柱もあります。
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1通のメールから

2016-12-27 22:06:37 | 日記
今日、主人がメールをしていました。
英語でのメールで、かなり長い時間をかけてタイプをしていましたので、
お仕事に関するものかと思っていたのですが…。

3時のティータイムに、そのことについて、主人が話し始めました。

我が家のお仕事を通して知り合った女性へのメールだったのですが、
今、おかあさんの看病をしておられるとのこと。
まもなく、化学療法の治療を受けることになっておられるらしいのです。

彼女は、今年の初めに、自身の病気について、自国では治療が行き詰っていること、
日本ではどんなことが考えられ、あなた(主人)はどう思いますかと、
メールで尋ねてこられました。

その時の主人は、自分がその病気について知っていることや、
考えられることなどをメールしていたようです。

今回のことについて、彼女が主人に何を求めていたのか、私にはわかりませんが、
主人は、今回も、自分が得た知識や科学的事実、それらを考え合わせた上での
主人なりの解釈などをメールに綴って送ったようでした。  

『どんな小さなことでも、たった一人の人にでも、自分の何かで役に立つ生き方ができれば…』と
思っている主人らしいわと、主人を誇りに思いました。

主人は、そんな生き方のためにも…と思ってか、
いつも知識を得るべく本やインターネットの記事を読み、
それらから得た知識を考え併せての解釈をする…、そんな日々を過ごしています。

それは、病気にならないための大きなヒントを得ることになりますし、
ひいては、幸せに生きるためのヒントにもなると思うのです。
知識を点とするならば、得たたくさんの点をつなぎ合わせて考えていくと、
導き出されるものがあるはず。

そんな考え方、生き方をしている主人に感心するとともに、
身近に、こんな素敵な人がいることをとても幸せに思います。
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