ブログ『Zopeジャンキー日記』に興味深いチャートがあった。
・右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right
・世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼
http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo
この中にノーラン・チャートというものが紹介されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/a7/6941ed878c02dd1cc6910363c3dcd56e.jpg)
この図はノーラン・チャートに改良を加えたものだそうです。
(注:本物のノーラン・チャート左下はポピュリズムと書かれてます。まぁ、ナチス(国家社会主義)もポピュリズムですね)
右翼と左翼と対義語ではなく、軸が別・・・次元が違うということだ。
そのため、右翼と左翼の議論がいつまでも咬みあわないのでしょうね。
でも、ここからが本題。
右翼や左翼のことを言及したかったのではなく、リバタリアニズムについて。
赤熊はリバタリアニズムに詳しいわけではないが、
リバタリアニズムとは、そのさまざまな「善」のどれが正しいかは決められないので、互いの「善」を押しつけたり、強制しないようにしよう、という考え方らしい。
まぁ、大雑把に言えば『お互いの「自由」を尊重しよう』ということらしい。
なにやら美しく纏めているが、それって有用なのか?
例えば、交通法規。
日本では車は道路の左を走らなければならない。
でもリバタリアンは「別に右側を走りたければ、走っても良いではないか?」とは主張はしない。
なぜか?
まぁ、最低限のルールには従うのは当然だ、そこまで否定していない、合理的・効率的ではないからだ・・・と反論されると思いますが、でも逆に言うと、合理的、効率的ななものなら従うということである。
では、最低限のルール、合理的・効率的なものと、そうでないものと境目は?
リバタリアニズムの余計な介入を許さない・・・ということは理解できるのだが、ここが判らない・・・というより、設定不可能だろう。
結局、各々の匙加減ということになる。
それって、どうよ?
そもそも、法律やルールというのは秩序を保つために存在しており、それにより合理的、効率的に円滑な社会生活を送るためのものです。
そうでない場合、時代にそれから外れた場合、廃止・改定するのは当然なのです。
それをことさら、リバタリアニズム(自由主義)だからというほどのものではないと思うのですが?
あと、他国が市場に介入しているのに、自分達は対策をしなくていいのだろうか?
例えば、韓国。
自国に有利なように、為替介入を繰り返してます。
そんな国と対等に渡り合えるのか?
例えば、中国。
レアアースを格安で流通させて、他国のレアアースの鉱山が閉山し、中国一国がレアアースを独占できたとき、レアアースの値段を吊り上げるどころか、輸出制限までかけてきている。
・・・こんな国があるのに、自由・・・市場に介入しないというもので対応できるのか???
赤熊は疑問ですね。
究極的には国が余計な関与しない・・・というのは素晴らしい考えだと思いますが、理想だと思います。
・右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right
・世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼
http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo
この中にノーラン・チャートというものが紹介されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/a7/6941ed878c02dd1cc6910363c3dcd56e.jpg)
この図はノーラン・チャートに改良を加えたものだそうです。
(注:本物のノーラン・チャート左下はポピュリズムと書かれてます。まぁ、ナチス(国家社会主義)もポピュリズムですね)
右翼と左翼と対義語ではなく、軸が別・・・次元が違うということだ。
そのため、右翼と左翼の議論がいつまでも咬みあわないのでしょうね。
でも、ここからが本題。
右翼や左翼のことを言及したかったのではなく、リバタリアニズムについて。
赤熊はリバタリアニズムに詳しいわけではないが、
リバタリアニズムとは、そのさまざまな「善」のどれが正しいかは決められないので、互いの「善」を押しつけたり、強制しないようにしよう、という考え方らしい。
まぁ、大雑把に言えば『お互いの「自由」を尊重しよう』ということらしい。
なにやら美しく纏めているが、それって有用なのか?
例えば、交通法規。
日本では車は道路の左を走らなければならない。
でもリバタリアンは「別に右側を走りたければ、走っても良いではないか?」とは主張はしない。
なぜか?
まぁ、最低限のルールには従うのは当然だ、そこまで否定していない、合理的・効率的ではないからだ・・・と反論されると思いますが、でも逆に言うと、合理的、効率的ななものなら従うということである。
では、最低限のルール、合理的・効率的なものと、そうでないものと境目は?
リバタリアニズムの余計な介入を許さない・・・ということは理解できるのだが、ここが判らない・・・というより、設定不可能だろう。
結局、各々の匙加減ということになる。
それって、どうよ?
そもそも、法律やルールというのは秩序を保つために存在しており、それにより合理的、効率的に円滑な社会生活を送るためのものです。
そうでない場合、時代にそれから外れた場合、廃止・改定するのは当然なのです。
それをことさら、リバタリアニズム(自由主義)だからというほどのものではないと思うのですが?
あと、他国が市場に介入しているのに、自分達は対策をしなくていいのだろうか?
例えば、韓国。
自国に有利なように、為替介入を繰り返してます。
そんな国と対等に渡り合えるのか?
例えば、中国。
レアアースを格安で流通させて、他国のレアアースの鉱山が閉山し、中国一国がレアアースを独占できたとき、レアアースの値段を吊り上げるどころか、輸出制限までかけてきている。
・・・こんな国があるのに、自由・・・市場に介入しないというもので対応できるのか???
赤熊は疑問ですね。
究極的には国が余計な関与しない・・・というのは素晴らしい考えだと思いますが、理想だと思います。
黙して語りませんが、この思想は究極的には
①武装していて(武装してないと個人主義への政府の介入を最終的に抑制できない)
②ある程度優秀で自立した(弱かったり貧乏だったりすると政府の助けが必要)
複数の個人が契約して作る社会を良しとする
ある種の選民思想でしょう
理想とする社会は西部劇の開拓民みたいな
生活で、武装に関して拒否感の強い日本では
成り立たない考えだと思います
①はよくわかりませんが、②は確実にそうだと言えると思います。
選民思想に近い・・・というより、無自覚な選民思想だと感じますね。
誰でも、立身出世できる・・・というと聞こえはいいのですけど、人間の世の中で最終的に階級社会になるのではないかなと思ってます。