意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

リバタリアニズムって、微妙だよね

2010年10月17日 | スタンス
ブログ『Zopeジャンキー日記』に興味深いチャートがあった。

・右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right
・世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼
http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo

この中にノーラン・チャートというものが紹介されている。



この図はノーラン・チャートに改良を加えたものだそうです。
(注:本物のノーラン・チャート左下はポピュリズムと書かれてます。まぁ、ナチス(国家社会主義)もポピュリズムですね)

右翼と左翼と対義語ではなく、軸が別・・・次元が違うということだ。
そのため、右翼と左翼の議論がいつまでも咬みあわないのでしょうね。

でも、ここからが本題。
右翼や左翼のことを言及したかったのではなく、リバタリアニズムについて。

赤熊はリバタリアニズムに詳しいわけではないが、
リバタリアニズムとは、そのさまざまな「善」のどれが正しいかは決められないので、互いの「善」を押しつけたり、強制しないようにしよう、という考え方らしい。
まぁ、大雑把に言えば『お互いの「自由」を尊重しよう』ということらしい。
なにやら美しく纏めているが、それって有用なのか?

例えば、交通法規。
日本では車は道路の左を走らなければならない。
でもリバタリアンは「別に右側を走りたければ、走っても良いではないか?」とは主張はしない。
なぜか?
まぁ、最低限のルールには従うのは当然だ、そこまで否定していない、合理的・効率的ではないからだ・・・と反論されると思いますが、でも逆に言うと、合理的、効率的ななものなら従うということである。
では、最低限のルール、合理的・効率的なものと、そうでないものと境目は?

リバタリアニズムの余計な介入を許さない・・・ということは理解できるのだが、ここが判らない・・・というより、設定不可能だろう。
結局、各々の匙加減ということになる。

それって、どうよ?

そもそも、法律やルールというのは秩序を保つために存在しており、それにより合理的、効率的に円滑な社会生活を送るためのものです。
そうでない場合、時代にそれから外れた場合、廃止・改定するのは当然なのです。
それをことさら、リバタリアニズム(自由主義)だからというほどのものではないと思うのですが?

あと、他国が市場に介入しているのに、自分達は対策をしなくていいのだろうか?
例えば、韓国。
自国に有利なように、為替介入を繰り返してます。
そんな国と対等に渡り合えるのか?

例えば、中国。
レアアースを格安で流通させて、他国のレアアースの鉱山が閉山し、中国一国がレアアースを独占できたとき、レアアースの値段を吊り上げるどころか、輸出制限までかけてきている。

・・・こんな国があるのに、自由・・・市場に介入しないというもので対応できるのか???
赤熊は疑問ですね。

究極的には国が余計な関与しない・・・というのは素晴らしい考えだと思いますが、理想だと思います。

忍術と靖国参拝問題と交渉術と

2010年10月13日 | スタンス
忍術に五車(ごしゃ)の術というものがあります。
忍術といっても、火を噴いたりするものではなく、忍者が使う交渉術のことです。
簡単に説明すると、人の五つの感情、「喜・怒・哀・楽・恐怖」を利用する術で、

喜車の術・・・おだてて喜ばせること。

怒車の術・・・怒らせ、平常心を失わせること。

哀車の術・・・同情をさそうこと。泣き落とし。

楽車の術・・・楽しませること。

恐車の術・・・怖がらせ脅すこと。

の5つの交渉術のことです。
交渉術というより、会話術の分類・考え方の基本といった方が正確ですね。
相手をおだてたりして口車に乗せれば、交渉ごとや情報収集が上手くいくでしょうし、怒らせたり、脅したり、恐怖心を植えつけ、平常心を無くさせれば隙も生まれるものです。
まぁ、『闇に生き、闇に死す』忍者のことなので、本当に使っていたかどうかはわかりませんが。

さて、ここからが本題。
別に忍術解説をしたかったわけではありません。

靖国神社の参拝問題で、中国韓国が、なぜか、猛反発します。
忍術的に言えば、『恐車の術』です。
まぁ、こんなことを意識的にやっているわけではなく、感情的・反射的にやっているだけでしょうけど。

でもこれは裏を返せば、日本側がボタン1つで、この両国をコントロールできるってことです。
『怒車の術』ってわけです。
冷静さを失わせれば、焦り、いらだち、失敗します。
そういう風に導き、相手がつまずいた所を掻っ攫えばいいだけです。

特に、こういう宗教的・文化的なもの場合、どちらが正義などないので、国際的に広がらないので、活用の余地は十分にあるのです。

こんな国際問題に使うだけではなく、日常生活でもこういう交渉術があるということを知っておけば、比較的に冷静に対処できるものです。
人が怒鳴るというのは、怯えさせ、自分の言い分を通そうとしているだけに過ぎません。
知っているからといって、手玉に取ることは難しいですが、怯える必要が全くなくなるものです。
先ずは冷静になって、相手の狙いを読みとる・・・というのが出し抜くポイント・活路だと思いますね。

日本の病理  5  『出る杭』責任転嫁病

2010年10月10日 | スタンス
『出る杭は打たれる』・・・・・赤熊はこの言葉が嫌いです。
正確には『不快感がある』というほうが正しいかな?

別のに杭を深く打ち込まないと「杭としての役に立ってないだろう!!」という物理的側面からのツッコミを入れないといけないことが嫌といっているわけではない。
主にビジネス面で多くの人がごまかしに使っているように聞こえることが嫌なのです。

例えば、「出る杭は打たれる」といって、目立たないように生きたり、人と変わったことをしないようにする人がいる。
これは赤熊的に、OKだ。
どういう生き方をしようとそれはその人の勝手。
赤熊が知ったことではない。
その人間が正しいと思える判断を下せば良いと思います。

ただ、自分で興したベンチャー企業への理解が得られないことを、日本は『出る杭を打たれるから』と言い訳しているのが不快なのです。
自ら起業して、『出る杭』になろうと決めた人間が、打たれることに対して、ぶつくさ文句をいっているのにイラッとくるのです。
そんなもの想定の範囲内だろう。
誰も彼も全ての人間が自分に賛同してくれるわけがない。
打たれると覚悟したのだから、打たれても凹まないようにすべきでしょう。
というか、打たれて凹むようなら、最初から起業しない方が良いと思います。
中途半端な覚悟で起業しても失敗しますから。

単純に相手を説得する能力(事業計画、弁舌能力、説得力など)が問われていだけです。

『出る杭は~』といっている人は、自分に能力が足りないことを棚に上げているようにと感じるのです。
もっといえば、出る杭(社会・世間・周りの人間)のせいにして、自分の無能さを誤魔化してしまう、自己欺瞞のように感じるのです。
それではいつまで経っても、成功しないだろうと思います。

もちろん、常日頃から賛同が得られないので、そうやって管を巻いて、ストレスの発散をしたいのもわかるし、自分に能力があると鼓舞したいのもわかる。
でも、「社会に問題がある」と叫んでも、社会が自分にあわせてくれるわけがないのです。

なので、そんなことを言わずに、プレゼンス能力を磨いてほしいものです。

日本の病理  4  反省ができない病

2010年08月15日 | スタンス
戦争を反省する・・・・この時期、特に8月15日である本日、聞かされる台詞。
でも日本人って、「反省しましょう」とは言うけど未だに反省してないよね。

例えば、サッカーで反省すると言うと、サッカーの試合の悪かったところ、弱点を割り出し、その欠点を強化するか、それを補う長所を伸ばすか考えることだ。
そこに、『サッカー自体をしない』というのは反省ではない。
ただの諦めでしょう?

同じように、戦争を反省すると言うのは、次にアメリカと戦争したとき、どうやって勝つのか?という反省点以外にないと思うのだが、そんなことは言わない。
代わりに、戦争は悲惨だ、悲惨だ・・・としか言わない。
それならそれでもいいが、ならば、どうやって避けるのかを考えるべきだろうに・・・。

こんな事しかいえない人間は、ちょっと・・・いや、かなり頭がおかしいのではないか?

戦争はしないほうがいい・・・というところで思考が止まっているのである。
そういうと、大体の反論は「話し合いで解決するべき」と言う人たちがいる。
これには愕然とします。
サッカーの試合でどちらが強いか決めようと言う人たちに、話し合いでサッカーの勝負を決めようといっているようなものだ。
そんなことできるわけがない。
いや、それでもいいと思うが、それでどうやって相手を納得させるのかの具体例くらい出してもらいたいものである。
まぁ、根本的に「話し合いで解決しないから、戦争になるのでは?」と思いますが。

そもそも、戦争をする力があって初めて「戦争をしない」という選択ができるのであって、力がない状況では、戦争ができないだけだ。
それは決断したわけでもなんでもない。
単純に流されているだけでしょう。

さて、毎年8月15日は何を反省しているのでしょう?

日本の病理  3  契約 無自覚症

2010年08月13日 | スタンス
Zopeジャンキー日記 モジックスさんのブログのとあるエントリを読んで愕然としました。
それと同時に、この人のブログの煮え切らなさがあったのですが、それがなんなのか薄っすらと解りました。

この方は小さな政府派で、市場原理を重視し、雇用規制反対の立場の人です。
あんまり関係ないのですが、みんなの党支持者のようです。
こういう経済や雇用関係に一家言を持っている方でさえ、法の基本ができていないのです。

件の問題のエントリ。

契約の成立には双方の合意が必要だが、契約の解除にも双方の合意が必要なのか?
http://mojix.org/2010/08/12/contract-agreement

タイトルからわかると通り、契約の解約に双方の合意が必要かどうかを論じ、それを雇用規制の問題に結び付けている。
この中の例を引かせてもらうほうが早いので引かせてもらいます。

>例えば、あなたがケータイの契約をしたとする。しかし、しばらく使ってみたら、その会社のサービスに満足できなくなり、解約を申し出たとする。このとき、解約には双方の合意が必要だったら、どうなるだろうか?ケータイ会社は当然、解約してほしくないので、解約に合意しないだろう。すると、あなたは一生そのケータイ会社との契約を解除できないことになる。カフカも真っ青の不条理社会だ。

・・・・・・・。
真っ青なのはこっちだ。
契約は神聖にして、絶対なのである。
よって、一方的な破棄はできない。
これは社会における契約の不変の原則だ。

では、なぜ、我々が携帯電話の会社と契約の破棄ができるのか?
簡単である。
契約を結んだ段階で、契約を解除する条件が織り込まれているからである。
その条件に同意する・・・ペナルティや不利益を受けることになると思うが、それでよければ双方の合意がなされ、契約が解除されるのである。
たったそれだけである。

では、この契約解除の条件がなければ どうなるのか?
当然のことながら、契約の一方的な解約はできない。
不条理でもなんでもない。
それが契約である。
それが嫌なら初めから契約をしてはいけないのだ。

もちろん、絶対に一方的な解除ができないわけではない。
裁判所に訴えでて、その契約が不当だと判断されれば解除できるでしょう。
そうやって解除するしかない。
だからこそ、基本的に解除条約が結ばれない婚姻契約は裁判沙汰になりやすいのである。
満足とか、不満足とかは関係ないのです。


さて、この人は契約のあり方を言いたいわけではなく、この例えを引いて、雇用契約のあり方を論じているので、『本筋でない』という反論もあるかと思う。
でも、雇用契約でも、売買契約でも、使用契約でも、契約の本筋は同じである。
契約の一方的な破棄はできないのである。

赤熊がビックリしたのは、日韓基本条約さえ理解できない腐れ売国奴の民主党の面々ならいざ知らず、市場原理を重視する人が契約の本義が解っていないことです。

ここに日本人は『契約や法の本質がわかっていないのではないか?』と感じたのです。
経済や社会問題に一家言ある人でさえこうなのですから、一般人は先ず、理解できていないものと思います。
これはかなり危険なことだと思います。

一般的に言われているのは、西洋は一神教の考えなので、契約と言うものは神と為される神聖な行為とされるからこそ遵守する、または、できない場合のペナルティをきちんと契約書に記載されるとされる。
そのため、アメリカの契約書は分厚く、契約書と言うより本になることが多いのです。

それが良いのかどうかは別だが、日本人は無防備すぎないか?
しかし、昔の日本人・・・証文のせいでえらい目にあった話など枚挙に暇がないし、江戸時代の離婚は、女性は夫から三行半(離縁状)を貰わないと離縁できなかったので、多くの女性は結婚する前に三行半を貰ってから結婚したそうだ。 

と言うことは、昔の日本人は契約というものを理解していたのだろう。
なのに、現代人が契約と言うものが理解できていないのは何故なんでしょう?

やはり教育の問題だと思うが、これが理解できていないのはカモにされるだけだ。
早急に教えて行くべきことだと思う。
性に合わないというものも解るが、もっともっと、意識して覚えて行くべきです。

※追記
この人の主張の煮えきれない部分を書くのを忘れてました。
契約の双方の合意によって、自由に結ぶべきであるのは事実ですが、雇用者と被雇用者の力関係に明らかに格差があるわけです。その状況下で、対等な契約を結べるかと言うと・・・?
疑問ですね。
赤熊は最低限の条件や罰則を課す必要があると思います。
現実問題、この辺りをどのラインで持ってくるのか一番有効なのか?・・・が、この方のブログでいっこうに論じられないことに赤熊は煮えきれないと感じてます。

スタンス  19  赤熊は抑制派

2010年06月25日 | スタンス
提言シリーズを50本も書いてしまった・・・。

読み返してみて、思うことは赤熊って、つくづくリアリストだよね。
変なことは言うが、無理なことは言わない。
制度上の不備を正して欲しい・・・と思うくらい。

それと赤熊は『○○禁止』って言わないことです。
せいぜい、無所属 ○○党推薦 禁止くらいしかないですね。
これらにしても、はっきりしろ!!と当たり前のことを言ってるだけなので、厳密には禁止しているわけではない。

要するに赤熊は法律で禁止すれば万事解決・・・なんてことを信じてないわけです。

だって、そうでしょう?
例えば、殺人は法により禁止されているけど、日本でも年間1000件以上起きているわけです。(世界平均からしたら極めて少ないですが)
禁止したからって、なくなっていないのです。

だからこそ、赤熊は抑制案・対抗案を提言し、軽減しようという考えなのです。

でも世の中の動きを見ると、世襲がいけないとか、野球賭博はいけない、とか直接的禁止を求める人間が多くて辟易します。

世の中が絵本のようにできてるわけないじゃんね。
いい加減、現実観ろよ!!
そんなことしても解決しません。
と、赤熊は思ってます。

スタンス 18  自宅を事務所とする政治家を信用しない

2010年06月12日 | スタンス
蓮舫議員が自宅を議員事務所にしているらしい。
多分、与野党問わず、多くの議員が自宅を議員事務所にしていると思われる。
他人の家を議員事務所にしているよりかは幾分ましだが、自宅を自分の議員事務所にしているのは政治家としていかがなものか?

議員って、公に属する人物のはず。
だからこそ、歳費・・・税金を貰っているわけだ。
公の仕事をする人物が、自宅という私空間を仕事場に持ち込むなんて、

公私混同でしょう?

政治家でない、一般人でも公私混同は『恥ずべきこと』とされるのに、それを平然とする政治家の神経を疑います。
公私のけじめをきっちりとすることこそが、政治家に最初に求められる姿だと思うのですが・・・。
心構えさえできていない政治家など信用に値しませんね。
信用のない政治家など、存在価値はないのですが・・・。

政治家の皆さんはどのように考えているのでしょうね。
まぁ、政治家としての矜持があれば、こんな事、絶対にないはずなのですが。

スタンス  17  結果責任は問わないが・・・

2010年05月26日 | スタンス
よく「政治は結果責任だ」というけれど、赤熊は結果責任を問う気はない。
いかに善政を敷こうとも、リーマンショックや今回のギリシャショックなど、どうしようもないことは、どうしようもないのだ。

全ての危機に対して万全の備えを・・・という気持ちもあるが、起こってもいない危機に対して、備えろというのは無茶だろう。
ハプニングというものは間隙を縫って現れるものですから。
高い見識あれば未然に防げるのかもしれないが、仕方がないとも納得もできる。

もちろん、対応の誤り・・・失政は糾弾すべきである。

でも・・・・である。
現在進行形で起きていることに関して、何ら対応もしないことなのは・・・一体。
口蹄疫が発生したことに関しては、不可抗力だろうが、4月20日に発生が確認され、対策本部ができたのが、約一ヵ月後という遅さ。
対策を怠ったのは明らかだ。

また、今回のギリシャショックでの株価の暴落や異常な円高。
それが起こったにもかかわらず、何ら景気対策を実施するわけでもなく、為替介入をするわけでもなく、何らアクションがない・・・。

何もしないのだから結果責任以前の問題であり、異常である。
失政を糾弾するというのは普通のことだけど、何もしないことを糾弾しろというのは、もはや異常事態だ。

これって本当に政権なのか?
日本には政権与党というものが存在しない、無政府状態なのでしょうね。
一体誰がこの国を統治してるんだろう?
ここ最近の最大の疑問です。

スタンス  16  ファシズム化だけは防ぎたい

2010年05月06日 | スタンス
歴史的な政権交代。

民主党は去年の8月の衆議院選挙をこのように表現した。
それは事実であろう。
ただし『愚昧で無知な人間たちが政権を取った』と、歴史に刻まれるという意味においては。

歴史にそう刻まれるのは、国として恥ではあるが、事実であるのだから仕方がない。
問題は、この民主党政権に、歴史的な政権交代をしたはずなのに、より悪くなってしまい、国民が失望してしまうことを恐れている。
失望が強すぎる、又は、生活に影響が出始めると、反動で極端な思考に振れてしまうことが多い。
そうなると、現在は極左に近い政権である以上、極右、あるいはそれ以上の過激な思想が日本で蔓延するのではないかと危惧している。

赤熊的には極右・極左・・・極端な考え方というのは『国を滅ぼす』だけだと思っているので、何とか阻止したいのです。
現在、去年の衆議院選挙の前の段階でファシズム化する危惧の通りの段階を経ており、どうやら、止まる気配はないようです。

リアリスト的には、何か対策を考えた方がいいのでしょうけど・・・。
残念ながら、何も思いつきません。
せいぜい、こうして 少しずつ警告を発することくらいですね。
ささやかな警句ながら、日本のための一助になればと思います。
まぁ、もう止まらないだろうけどさ。

日本の病理  2 民間至上主義

2010年04月30日 | スタンス
公的機関に対してよく聞くセリフ。

『民間ではありえない!!』

このセリフを吐く人間の方が『ありえない』と思います。

民間企業の効率の良さと言うのは、利潤の追求・・・極端にいえば、そうしないと路頭に迷うからのものなのです。
しかし、公的機関は文字通り『民間ではない』のです。
そういうインセンティブが働かないのだから、民間に比べると効率が悪いのは当然なのだ。

一応言っておきますけど、公的機関の効率性は お世辞にも良いとは思っていないし、改善しないといけないと思います。
ただ、前提が違うものを一緒にされても・・・ということです。
白熊が沙漠に生きるには『非効率だから悪い』と言っても何も始まらない。
白熊には白熊の生きる環境があるし、
沙漠には沙漠に適応した生き物がいるのです。
民間企業の理屈を公的機関に当てはめても無駄なのです。

本当に必要なのは、どうやったら『公的機関が効率的に仕事ができるのか?』ということを考えるべきなのです。
なのに、改革改革としか言わない。
『どうすればいいのか?』という、中身がまったくないです。
あっても、『民間では』という(民間ではないのだから見習っても意味がない)か、かなり突飛な発想であることが多いですね・・・。
これは一体どういうことなのでしょうね。

赤熊的には、部署部門・・・などで似た仕事を統合し、わかりやすく、かつ、監視しやすい環境を作ることでしょう。
まぁ、民間並みの効率的な仕事はならないと思いますが、それで十分です。
だって、民間ではできないことをやってるんですから。
多少無駄がでても、清廉潔白にやらずに、目を瞑ることも覚えないといけないのです。

これらをどうコントロールするのかが、政治家の役割だとも思うのですが、残念ながら、そういう発想の政治家はいないようです。
まぁ、だから『改革』と言う言葉だけで、何も変わらないのでしょうね。

スタンス  15  新党は評価対象外

2010年04月05日 | スタンス
何やら、新党を作る動きがあります。

平沼氏と与謝野氏が作るとか?
政治理念や財政の考え方が違うから組んでも、続けられないだろうと思う。

まぁ、興味も湧かないので、どうでもいいけど。

そもそも、赤熊は新党というものを評価しません。
組織というものは、時間が経てば、変質するモノです。
まぁ、人も変わりますけどね。

組織は多人数なので、特に変質しやすいのです。
他人と思想が完全一致するなんてありえません。
近いからといって、同じではないのです。
人が増えるというのは、考えが違う人間も増えるということです。
そういった、齟齬を調整しようとして変化して行くのです。
組織内部で権力闘争も起こるし・・・。
初期のころとは変わっていくのです。
というか、そういう変遷を乗り越えて発展・発達・洗練されていくものです。

あと、できたての組織は組織として、至らないところも多いですしね。

なら、変質後を見て、支持を考えれば良いのであって、初めから支持する必要はありません。
すぐに消えるような泡沫政党を網羅しようとしたら、いくら時間があっても足らないし。
そんな暇じゃ ないっての!!

そんなわけで、いち早くできた、みんなの党でさえ、まだ評価対象外です。
与謝野・平沼連合は言わずもがな。
期待している人間に悪いですが、支持するのは、待った方が良いと思います。
絶対、変質しますから。

でも、どうしても支持するというなら、決して騙されたといわないことです。
変わることが解ってても、なお、支持するのだから当然の心構えです。

それだけは言っておきます。

スタンス  14  自分を偉人に喩える人間はキモイ!!

2010年03月17日 | スタンス
坂本竜馬がブームなのか、テレビで自分のことを坂本竜馬に喩える人間が多いです。

赤熊はこういうのを聞くたびに思うけど、
キモイ!!

偉人の生き方にあこがれる・目標にするくらいなら理解もできますが、偉人に自分を重ねるなど、自意識過剰なのか、自己陶酔なのか解らないが、どちらにしても、気持ち悪いです。

赤熊は、自分は自分にしかなれないという考え・・・というか、『他のモノになっても しょうもない』という考えなんで、余計にそう思いますね。

日本の病理  1 変化強迫症

2010年02月02日 | スタンス
相撲協会の理事長選挙が行われ、貴乃花親方が当選した。

・・・・・。
興味がない赤熊にとって、どうでもいい話。

でも、改革を謳う貴乃花親方は善で、
それを良く思わない相撲協会側は悪・・・。

といった論調で報道するのは、見ていておぞましく感じる。
総選挙でもそうだった。

変化を訴える民主党は善、
そうでない自民党は悪。

他にも探せば色々あるよね・・・。
ただ、そこにあるのは変わらなければならないという、勝手な思い込み。
それなので、どう変化して良いのかも明確ではないのだ。

日本人の中には、変わらないといけないという強迫観念があるように感じる。
ただ問題は、所詮、『観念』であって、『意思』ではないということ。
だから『どのように変わらないといけないのか?』がスッポリと抜け落ちているのだ。
少しでも変化というものを考えれば、正しいとも、間違っているとも、良いとも、悪いとも判断できない『もの』であることに気付くはずなんですけどね・・・。

さらに問題なのは、『自分』ではない『誰か』が変化すれば良くなると考えている節がある点だ。
甘えだろう、そんなものは・・・。
他人が、自分で何もしないのに、自分に都合よく、変わってくれるわけがない。

ついでの問題点を指摘しておくと
日本人の多くは変化しないことも『変化』であることを理解できていない。
『維持』と言うのは、放置すれば『変わる』のだから、『維持』しないといけないわけです。
退化が進化の一形態であることと同義なのです。

こんな強迫観念だけで、変化しようなど愚かな極みです。
だから、煽動者であるマスコミは楽に仕事ができるのでしょうけどね・・・。

妄想空間にいる人間にこんなこと言っても せん無きことだと思うが、
いいかげん目を覚まして欲しい。

スタンス  13  外国人参政権 反対

2010年01月27日 | スタンス
前から言っていますが、赤熊は外国人参政権は反対です。
理由は至極簡単です。

メリットがない。
・・・以上。

赤熊はシンプルです。
メリットとデメリット、必要コストを天秤にかけ、メリットが大きいと判断できれば賛成しますし、釣り合う、デメリットが大きいならば反対するだけです。

それだけなのですけど、賛成者は何一つメリットを説明しきれていません。
まぁ、賛成者が良く言う、賛成理由がありますけど、どれも賛成理由になってないです。

例えば
(1)税金納めているから。
時代に逆行してるよね。
税金を納めていない人に対して、参政権を剥奪しているのなら正しいが、そんなことは一切ない。
これを主張する人間は何時代の人なのでしょうね。

(2)生まれたとき、又は、長く日本にいるから。
参政権を与えるべき理由になってないよね。
日本人の子供なら、外国で生まれても大使館を通じて国籍を取れます。
その子供が、日本の土を一切 踏まなくても、二十歳になれば、参政権を行使できます。
要するに、参政権の付与条件は『日本にいる時間』ではなく、『日本に所属』しているかどうかなのです。
だから、日本に所属する・・・『帰化すればいい』としか言いようがありません。
(生まれたときからいる在日韓国人は別に構わないのですけど、その他外国人は帰化要件を厳しくする必要があると思います。日本に忠誠を尽くす、又は日本の習慣や歴史をテストし合格しなければ無理とか)

賛成者には是非ともメリットを示して欲しいのですが、今のところ、一切提示できておりません。
賛成・反対、以前の問題で考える必要もない。

逆に、デメリットの方が明確に提示されており、どれも危惧される内容ばかりです。
(1)小さな自治体なら外国人にキャスティングボードを握られる可能性がある。
(2)憲法違反になり、憲法の無視による法秩序の乱れを起こす
(3)そもそも多くの外国人は欲しがっていない。ありがた迷惑。

・・・どれも重大なものばかりで、外国人参政権を考える以前の問題です。
どうして賛成者はこんな簡単なことが判らないのでしょうね。

説明もできないものを民主党はなぜ、推進してるのかわかりません。
場合によっては、この件だけで政権が終わるかもしれないのにね。
もっと別のこと議論すればいいのに・・・。
バカ丸出しですね。

関連エントリ
赤熊の資料館
http://blog.livedoor.jp/matuba96/tag/外国人参政権
自ブログの参政権での取り扱い記事
http://blog.goo.ne.jp/matuba96/s/%B3%B0%B9%F1%BF%CD%BB%B2%C0%AF%B8%A2
テレビにだまされないぞぉ 橋下知事の考え、かなりヤバイかも 【たかじんのそこまで言って委員会】
http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-2536.html

スタンス  12  天下りは必要なコスト

2010年01月10日 | スタンス
天下りを禁止しようと言う話がある。
民主党は政治主導を発揮できれば、できると言う。

だが、無理である。
この国を動かしているのは官僚だ。
人で言えば、脳にあたる部分を官僚が担っているのだ。
決して、政治家ではない。
いくら民主党が政治主導といっても、脳が官僚である以上、『政治家の政治主導』などは騙すための方便を言うのが関の山だ。
官僚がこの国を動かしている以上、官僚に有利な天下りが起こるのは当然なのだ。
もし、法律で禁止しても、別の利権を巧妙に作り、続けるだろう。
意味がない。

だが、赤熊はそんな下らない理由で無理だといっているわけではない。
もっと、根幹の話。

この国において、官僚以外、国を動かせる人間がいないのである。
その官僚が国を動かさなければ、国が機能停止する。
国が止まれば、莫大な損失を被るのである。
そのツケを払うのは、もちろん国民です。
天下りを禁止しても、それ以上のコストを払うのでは意味がない。
こういうと「天下りを禁止して、官僚がきちんと働けばよい』なんていう人間がいるが、それができるのであれば、そもそも、天下りという問題なんて起こさないだろう。
脳内お花畑の言い分は理解できない。

だから、赤熊は、天下りは日本の支払うべきコストだとしか思わない。
官僚に代わる脳・・・情報収集し、政策立案できるところ・・・があれば、払わなくても良いのでしょうが、現状、ないのだから利用する以上、支払うべきなのです。

ていうか、政治主導とか言う前に、政治家の下部組織として国政を考えるシンクタンクなどを作れよって感じです。
そうでなければ、どうあがいても現実的に無理な話であり、そんな妄想を聞くだけ、虚しいだけです。